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神の御名を知らせるとは何? 2

ものみの塔にお尋ねします8
            藤井寺キリスト教会 牧師 池田 豊
神の御名を知らせるとは何? 2

12. ところが、I AM:わたしはあってあるものだと自分を指してそのまま言ったら、その言った人が神様になってしまうので、一人称を三人称に変えて、すなわち・・・I AM を HE IS に直したのがテトラグラマトンYHWHなのです。この意味は、「あってあるお方」つまり初めもなければ、終わりもない、永遠に存在しておられるお方という意味だと思いますが、このことには同意して頂けますでしょうか。

13. ヨハネの福音書8章52節~59節を読んでみて下さい。ここで、アブラハムとイエスキリストについての比較がなされていますね。ユダヤ人たちは、イエスがまだ50歳にもなっていないのに、アブラハムと同時代にいたかのような発言をするなと怒っていますね。

14. その際、イエスキリストは、奇妙な表現を用いられました。8:58でアブラハムが生れる前からと言って、ギノマイという動詞を使われました。それはアブラハムが「出てきた前に」という意味で、アブラムが被造物であるということを暗示する表現でした。

15. ところが、イエスキリストは、ご自身のことを表現する時には、このギノマイを用いることをしなかったばかりか、とんでもない文法上の誤りと思える表現をおとりになったのにお気づきでしょうか。

16. もし、文法上の時制の一致というルールにのっとったならば、アブラハムがゲネスサイ(創造され出現した)以前に、わたしはいた(I was)、又は、それ以前からわたしはいたという意味の完了時制(I have been)を使わなければ正しくありませんね。それなのにイエスは、ここで何とおっしゃったでしょうか。

17. わたしはある(I AM):エゴ・エイミとおっしゃったのです。これはイエスキリストが燃える柴の中から、モーセに語りかけたお方であるということを証明した言葉です。アブラハムが創造される前からイエス様は、永遠に存在しておられる、エゴ・エイミなるお方であるということです。それ以外に、この文法上の誤りを説明する方法があるでしょうか。

18. ユダヤ人たちは、イエスがエゴ・エイミとおっしゃったとたん、石を投げつけようとしましたが、なぜですか。単なる文法上の表現が間違っていたということで、英語の教師のようにイエスの誤りを正してやろうとしたのでしょうか。ユダヤ人にとって、石投げによる死刑を、裁判もなしに執行しようとしたということは、何を意味しているのでしょうか。

19. ものみの塔が教えるように、もしここでユダヤ人たちが、誤ってイエスの主張を受け取り、 「イエスは自分ではエホバであるなどと思ってもいないし、そう主張したわけでもない」のに、ユダヤ人たちは「イエスは自分をエホバだと生意気にも主張している」と誤解してしまっただけなのでしょうか。そう考えた場合、次のような疑問が新たに持ち上がり、問題はより複雑になっていきます。

a. もし、ユダヤ人たちの誤解であったというなら、なぜイエスは、その誤解を解こうともせず、宮から出ていかれたのでしょうか。あたかも彼等が考えたように、イエスは、自分をエホバと等しい者であると主張したことが、真実であるような印象だけを、その場に居合わせた人々に残して・ ・ ・ 

b. もし、ものみの塔が主張するように、イエスキリストはマリヤから生れる前は、天使長ミカエルだったということが真実ならば、なぜこの時、ユダヤ人たちに対してイエスはこう真実を明さなかったのでしょうか。すなわち、「君達、わたしが本当に自分をエホバだと主張しているなどと思ったのかね。とんでもない。わたしもアブラハムと同じ、被造物だよ。わたしは天使ミカエルだったんだよ。誤解しないでほしいな。わたしは自分のことを、永遠から永遠まで存在する者だなんて言った覚えはないよ。」と。
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神の御名を知らせるとは何?

ものみの塔にお尋ねします7


藤井寺キリスト教会 牧師 池田 豊


神の御名を知らせるとは何?


1. マタイ4:10には「あなたの神エホバをあなたは崇拝しなければならず、この方だけに、神聖な奉仕をささげなければならない。」と書いてあるので、エホバという呼びかたで、聖書の神様のことを伝えない教会は、間遠っているとおっしゃるのですか。


2. 聖書から論じるP. 91にあるように、神の御名を呼ぶもとの正しい発音は、現在では失われており、誰も神の御名をもともとヘブル語で、どのように発音したらよいか正確に知っている人は、現在、地球上に独りもりもいないということには、同意されますか。



3. 「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」のP.43には「神の御名を"ヤハウェ"と発音しようが、 "エホバ”と発音しようが、あるいは自分が話す言語で普通に用いられている発音であろうと、神の御名を用いるのが、正しいのである。間違いは。神の御名を用いないところにある。」という内容のことが、書かれていますが、あなたはもちろんこれを理解した上で、同意しておられますか。



4. 多くの教会はなぜ間違っているのですかという問いには、エホバという呼び方で神のことを呼んでいないとおっしゃり、聖書の翻訳でも、「エホバという用語を用いない」ということが問題だとおっしゃるのですが、その実、神の御名の呼び方は、正確なところ、誰もわからないので、どう呼んでも良いのだともいっておられるのでしょうか。



5. 神のことを「エホバ」と呼んでもいいし、 「ヤハウェ」と呼んでも良い、何でも良い、造り主なる神を何でも好きなように呼びなさいということは、本当に神を敬うことになるのでしょうか。



6. 「どのような発音で呼んでもかまわない」と言っておきながら、キリスト教会が、 「エホバ」という名で神を宣べ伝えていないから、間遠っているというのは、道理にかなった主張でしょうか。



7. 神様を呼ぶのに、正しい呼び方でなければならないという、ものみの塔の主張が正しいとするなら、なぜ神は、その御名を発音する正しい発音を、保存されなかったのでしょうか。



8. 御自身のお名前の発音、呼び名の音を正確な形で称えることが、重要なことであり、御心ならば、たとえユダヤ人が迷信で、神の御名がとても神聖だから口にしなかったとしても、正しい発音が失われて良いはずがありません。そう思いませんか。



9. エホバのもとになっているのは、テトラグラマトンと呼ばれている、YHWHであるという点で、私たちは同意できるでしょうか。



10. そして、このYHWHはどこから来たかと言えば、エへイエ:IHWHからだということが言われていますが、このことはご存じですか。すなわち、申命記6:4の唯一なる神、ヤハウェ「(エホバ)の呼び名は、出エジプト記3章を起源としているというのですが、このことはお聞きになったことはありますか。



11. 燃える柴の中から語りかけた方に、あなたをどのようなお方として理解したら宜しいでしょうかと、モーセが尋ねた時、 「わたしは、あってるものである」と神は御自分の御名を明らかにされました。これがエへイエ:IHWHですね。ギリシャ語訳ですと「エゴ・エイミ」ですね。



宣べ伝えるべき良い便りとは何ですか?

ものみの塔にお尋ねします6


藤井寺キリスト教会 牧師 池田 豊


宣べ伝えるべき良い便りとは何ですか?


1. イエス・キリストの伝道と教えの主題は、神の王国についてだったということができますか。また、初代のクリスチャンたちも同様に、神の王国について宣べ伝えたのですか。


2. この王国の良い優りを全地に宣べ伝えているのが、エホバの証人の方々で、一般のキリスト教会は、神の王国について宣べ伝えておらず、ものみの塔組織だけが神の御心を忠実に行なっている、唯一の宗教組織であるとおっしゃるのですか。


3. 一般のキリスト教会も神の国と神の支配、喜ばしい神からの良き知らせグッドニュースを伝えていると思うのですが、ものみの塔が、他の教会とは違い、神の王国について教える時、以下のような特徴があると考えられますが、そう理解して宜しいでしょうか。


A. 神の王国とは、地上から犯罪や戦争をなくし、全ての人々に適当な食物や住宅を供給する、一つの政府による統治のことである。


B. この政府は、イエスキリストを王とし、そのもとで共に統治に参与する、十四万四千人の共同支配者たちによって構成される。


C. これが、イエスキリストとその弟子たちが宣べ伝えたメッセージである。


4. それではお尋ねしますが、主イエスキリストが、福音書の中で、「地上から犯罪や戦争をなくし、全ての人々に適当な食物や住宅を供給する、十四万四千人の共同支配者たちによって構成される神の一つの政府による統治」について語っている個所が、どこかあるでしょうか。 (神の御国ということでなく)


5. イエスキリストと共に共同支配者になる人々が、十四万四千人しかいないとはっきり述べているところは、福音書の中、主イエスが語り教えられた言葉の中にありますか。


6. ペテロやパウロ、ヤコブは、本当に限定十四万四千人の人たちだけが、キリストとの共同支配者になるのだと信じ、そのメッセージを宣べ伝えて、家々を訪問して回ったのでしょうか。又、そのような良い便りを宣べ伝えることこそが、神の真の奉仕者の証拠だと初代教会のクリスチャンたちは、皆、考えていたのでしょうか。


7. やがて来たるべき神の政府で、共同支配者になる人の人数が決っていたというわけですから、当然、一世紀の使徒たちも、クリスチャンたちも、現在のエホバの証人の方々のように、その限定された祝福の椅子にはやく着くよう、人々に伝えていたのでしょうか。現在のものみの塔の組織に属している方々の人数は、十四万四千人をうわまっているために、今は、あまりこの十四万四千人のうちの一人に早く入りなさいといった勧めはなされなくなったでのでしょうが、まだ、余席がたくさんあったと考えられる、使徒の時代には、非常に熱心にこのメッセージが伝えられたと、仮定しても宜しいでしょうか。


8. それではその証拠があるかどうかみてみましょう。使徒の活動の中で「神の政府」と「十四万四千人の共同支配者」について、直接、それらの言葉や用語を用いて、ペテロやパウロが宣明している個所はありますか。そのメッセージこそがエホバの証人、真の神の奉仕者が伝えるべきものだと、ものみの塔はおっしゃるのですから、彼らがメッセージを語る時には、必ずそのことに言及されていなければならないはずですね。もしそうでなければ、いくらパウロやペテロと言えども、ものみの塔には属していない、現在のキリスト教会と同じ罪をおかしていたことになるはずですから・・・。


9. ヨハネ5:39?40に、イエス様が宣べ伝えておられたメッセージの典型的な例が出ています。 「あなたがたは聖書によって(聖書の研究生となって学び、学んだことを実行することによって)永遠の命を持てるようになると考えて、それを調べています。そして、これこそわたしについて証しするものなのです。それなのにあなた方は、命を持つためにわたしのところに来ようとしません。」


ここでイエス様は、永遠の命を持つことができるのは、「聖書を良く研究し、その戒律を従順にまもった、忠実な十四万四千人の限定された人たちだけだ」とおっしゃったのでしょうか。


又、この命を受ける為には、「神の組織に属さねばならない」と教えられたのですか。それともイエスキリストを信じ、キリストのもとに来なさいとおっしゃったのですか。


10. 1コリント15:1?7に、初代のクリスチャンたちが、文字どおり命をかけて宣べ伝えた、良き知らせの典型的な例が記されています。この中心主題は何だったでしょうか。神の政府と共同支配者の十四万四千人についてだったでしょうか。


11. 使徒4:10,12で、ペテロは何について宣明したのですか。


あなた方のすべてとイスラエルの民のすべては知ってください。ナザレ人イエス・キリスト、つまりあなたがたが杭につけた方、しかし神が死人の中からよみがえらせた方の名において、この方によって、この人がここ、あなた方の前に健やかな姿で立っているのだということを。さらに、ほかのだれにも救いはありません。人々の間に与えられ、わたしたちがそれにうよって救いを得るべき名は天の下にはほかにないからです。使徒4:10,12新世界訳


12. 使徒4:33によると、使徒たちの宣べ伝えたメッセージの中心主題は何についてでしたか。


また、使徒たちは大いなる力をもって主イエスの復活に関する証しを続けた。そして、過分のご親切が彼らすべての上に豊かにあった。使徒4:33新世界訳


13. 使徒5:27?32で、使徒たちは大祭司にどのようなメッセージを語ってはならないと脅かされたのですか。彼らはどのような名の証人となったのですか。エホバという名で教えたのですか。イエスという名で教えたのですか。



こうして彼らを連れて来て、サンへドリン広間に立たせた。そして、大祭司が彼らに質問して言った。「この名によってもう教えてはならないときっぱり命じておいたのに、見よ、あなた方はエルサレムをあなた方の教えで満たしてしまい、しかも、この人の血をわたしたちにもたらそうと来見ている。」それに答えてペテロと[ほかの]使徒たちは言った。「わたしたちは、[自分たちの]支配者として人間より神に従わねばなりません。わたしたちの父祖の神はイエスを、あなたがたが杭に掛けて殺したその方をよみがえらせました。神はこの方を主要な代理者また救い主としてご自分の右に高めました。それは、イスラエルに悔い改めを、また罪の許しを与えるためです。そして、わたしたちはこれらのことの証人であり、聖霊もまたそうです。神はそれを、支配者としてのご自分に従う者たちにお与えになりました。」使徒5:27?32新世界訳


14. 使徒13:38?39で、パウロが宣べ伝えたメッセージの中心主題はなんだったのですか。罪が許され、無罪と宣せられるのは、誰の名によるのですか。誰を信じるだけでよいのですか。


ですから、兄弟たち、このことを知ってください。すなわち、この方を通して罪の許しがあなた方に広められており、モーセの律法のもとであなたがたが無罪と宣せられなかったすべてのことについても、信じる者は、この方によって無罪と宣せられるということです。使徒13:38?39新世界訳



永遠に続く心の疲労回復

永遠に続く心の疲労回復


藤井寺キリスト教会 牧師 池田 豊



私たちはどのような時疲労感を覚えるでしょうか。仕事や勉強のやりすぎはもちろん、楽しいはずの遊びでも徹夜などしようものなら、ぐったりして休息の必要を感じるものです。実際、身体の疲労は休息をとれば、ほんどの疲れは回復するものです。 しかし、疲労を身体のことだけととらえるのは、正しくありません。医学的にも疲労の起こる生理的メカニズムは、完全には解明されていないそうです。本人の自覚症状で判断するしかないとも言われています。つまり、疲労は、感覚という側面、身体ではなく、実は私たちの心が感じるものらしいのです。言い換えれば、疲労は心に生じるものだということのようです。


聖書に次のような御言葉があります。


人の心は病苦をも忍ぶ、しかし心の痛むときは、だれがそれに耐えようか。 箴言18:14


人を耐えられないほどひしがれた心にするものがあると聖書は言うのです。ひしがれた心はだれにも耐えられないほど辛いというのです。


  身体の病気の苦しみは何とか耐え切ることができても、ひしがれた心は耐えられないほど辛いとこの聖句は言います。ひしがれた心とは痛む心であり、沈みこみ落ち込んだ状態です。使われている原語では、ひしがれたとは、ナウカウ(naka)というヘブル語が用いられており、この語はもともと「殴る、強打する、襲う」という意味があり、精神的に打撃を与え、悩ますという意味で用いられる語です。ではどのような状況で私たちの心はダンプカーでひき逃げされたように、ぺっちゃんこに打ちひしがれるのでしょう。


よく聞かないうちに返事をする人は人を傷つけると警告する言葉が聖書に記されています。


  よく聞かないうちに返事をする者は、愚かであって、侮辱を受ける。箴言18:13


相手の話を良く聞かないで返答する人は恥をかくことになるというのです。確かに人の話を最後まで聞かず、あるいは、まったく相手の話を聞かずに自分の推測をもとに勝手に判断をくだして、人を攻撃する人がいます。


以前、テレビで次のような親と子の関係にスポットをあてた番組が放送されていたそうです。 (続・生きる勇気がわいてくる聖書のメッセージP.45-46参照)


隠しカメラを使って、ある一家の夕食風景が映し出されていました。
「おい、お前、最近ちゃんとやっているのか!」 「・・・・・・」 「勉強しなきゃだめだぞ!」 「・・・・な、なんなんだよ。急に、うっせいな!」
父親は四十七歳、サラリーマン。息子は高校三年生。最近夜、十時過ぎになると頻繁に電話がかかってくる。そう母親から伝え聞いた父は、気が気でない。この日はめずらしく親子そろって夕食をとったようです。先に紹介した会話はそのときのものです。この会話の前には気まずい雰囲気が続いていました。ビールをぐーっと飲み干した元気で、やっとのこと父親が口を開いた時の第一声が、「おい、お前、最近ちゃんとやっているのか!」でした。
その後、会話は息子への電話がきっとガールフレンドからのものと思いこんだ父親の、シドロモドロの説教が続きます。息子との会話はまったくなりたちません。息子は顔を真っ赤にして怒り、「友だち?男の友だちだよ!」と抗議します。父親はオロオロして、酔いもまわっていたのか言葉が支離滅裂になって隠しカメラの映像は終了しました。
このお父さんは、息子の生活について勝手な推測をもとに最初から問題があるかのような決め付けをし、疑いの目を持った敵対的、攻撃的な言葉を一方的に投げつけています。息子にとっては、突然、辻斬り強盗に斬りつけられたようなものです。心に深い傷が残ったのではないでしょうか。相手の立場を十分考慮せず、本人以外の人から聞いた情報や噂話をもとに一方的に攻撃すると、攻撃された人の心には大きな傷が残るものです


また、見当はずれな非難や攻撃、誤解をもとに一方的に悪いと決め付けられたりすることも大きなダメージを与えるものです。

  私には中学時代、技術家庭科の教師との苦い思い出があります。技術家庭科の先生は、あだ名が、「じいちゃ」といい、とても恐い先生でした。すぐ暴力をふるう先生でした。  中学一年生だったある日、私たちが技術家庭の授業で、校庭の花壇に出て、作業をしていました。その最中に、あの「じいちゃ」先生が、突然、私のほうを見て、「おい、井合。」と呼びました。


僕は池田という名前なので、自分が呼ばれたのではないと思い、知らんふりをして黙々と作業をしていました。そうしましたら、「おい、井合。井合だ。井合!」と叫ぶや、先生は僕のほうにツカツカとやってきました。先生が呼んでいるのに知らんふりをして、無視したということで怒られたのでしょう。手に持っていた金槌の柄の部分で僕の頭をゴツーンと殴りつけました。あまりの突然のことで、痛みもあって、僕は何も言い返すことができませんでした。
  完全に先生の間違いであり、人違いでした。僕の立場を全く考慮しないで、一方的に金槌で殴りつけられたのです。金属の部分で殴られなかったのが唯一幸いなことでしたが、この経験は、僕の心に深い傷と、「じいちゃ」先生に対する憎しみを刻みつけたのでした。


うちひしがれた心はだれにも耐えられないほど辛いものです 相手の話を良く聞かないで返答する人は人を傷つけます。相手の立場を考慮せず、一方的に攻撃すると、その人の心には大きな傷が残るものです。また、そればかりでなく、先手必勝と言わんばかり、破壊的な攻撃をしまくる人がいますが、そのような人も、人の心に大きな傷を負わせます。そのような人は、先に、相手をひどく非難、中傷することで自分を正当化しようとする人です。ところが相手の言い分を聞いてみると事実はそう単純ではないことが多いのです。聖書にこのような御言葉があります。



先に訴え出る者は正しいように見える、しかしその訴えられた人が来て、それを調べて、事は明らかになる。 箴言18:17口語訳


人の心に致命傷となるような傷を負わせることばがあるのです。


軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。 箴言12:18



柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす。  箴言15:1


  しかしその反対に人を癒し、生かすことばもあるのです。それは、創造主の愛と慰めの御言葉です。イエス・キリストの言葉をご紹介しましょう。


すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。マタイ11:28


イエス・キリストは私たちの傷ついた心、疲れた心を癒し、人生を押しつぶしてしまうかのような重荷を私たちと共に担ってくださるというのです。人間の心はなぜ傷つくのでしょうか。


傷つける人がいるからです。では、傷つく人は一方的に被害者で終わるというのでしょうか。いいえ、そうではありません。傷つけられた人本人がまた加害者ともなりうるのです。鋭い言葉で相手に言い返したり、別の人に当たり散らしたりすることで、自分以外の人を傷つけることも多々あるのです。このような問題を聖書では「罪」と呼んでいます。


全ての人は、その意味では罪を犯しており、自分自身が被害者でもありますが、加害者ともなっている現実があるのです。その責任を私たちがひとりひとり問われて当たり前なのに、イエス・キリストという罪の無い方が、十字架にかかられ、血を流して、私やあなたの代わりに償いをなしとげてくたさったと聖書は教えています。また、キリストは三日後に死からよみがえり、永遠のいのちを無償の贈物として私たちに提供しておられるのです。


このイエスキリストというお方をあなたが、ご自分の救い主(永遠のいのちの恩人)として信頼するとき、すなわち「神様有り難うこざいます。こんな私ですが宜しくお願いします。」と申し上げるだけであなたの罪はゆるされ、心がきよめられ、永遠の命がプレゼントとして与えられます。


聖書の言葉


「渇いている者は来なさい。誰でも、いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい」  黙示録22章17節


人生で疲れ、複雑な人間関係の中で心傷ついている方がおられましたら、今、この素晴らしい創造主の愛と赦しを受けとり、永遠に続く心の疲労回復(イエス・キリストにある平安)をあなたも御自分のものとなさいませんか。



モルモン教会にご質問します

モルモン教会にご質問します



以下に掲載しましたのは、私がモルモン教会の日本本部にお問い合わせをした質問です。モルモン教会日本本部からの返答は頂けませんでしたが、後日、このブログにお尋ねした質問を掲載したところ、モルモン教会の信者(末日聖徒イエス・キリスト教会の会員)だとおっしゃる、オムナイさんという方から、コメントの形で返答をいただきました。私がお尋ねした質問とオムナイさんからのご返答を下に貼り付けます。

モルモン教会が教えておられると思われることについて、疑問がありますのでご質問します。



1. モルモン教会は、唯一の神ではなく、多くの神々があると教えていますか?  旧約聖書イザヤ44:6, 8; 45:5, 6, 18, 21, 22 では、どう教えられていますか?   モルモン経アルマ書11:26-31,35は「神は一つよりも多いか」というゼーズロムの質問に対して、アミュレクがそうではないと答えている部分がありますが、アミュレクは、間違った情報を天使から受け取ったのですか?


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コメントとしてモルモン教会の信者、オムナイさんからお寄せ頂いた返答

こんにちはいわゆるモルモン教会の信者(末日聖徒イエス・キリスト教会の会員)です。
一信者ですので教会を代表するものではありませんが、理解する所を紹介します。


モルモンでは永遠の父なる神と、その御子イエス・キリストと、聖霊を神として信仰しています。
アミュレクとゼーズロムの場面では旧約の神(イエス・キリスト)ついて論じています。モルモンでは旧約でモーセに現れた神を救い主キリストであると信じています。

2. モルモン教会は、イエス・キリストがルシファーの霊的兄弟(spirit-brother)だと教えていますか?  イエス・キリストは被造物であり、永遠の創造主ではないとモルモン教会は教えていますか?  Journal of Discourses, Volume 13, page 282.の教えと、モルモン経モーサヤ書3:8, 5:15の教え、すなわち「イエス・キリストは、天地の父、創世の時から万物をつくりたもうている造り主であり、その御名を信ずる信仰によってさえも救いを与えるために来られたお方、全能の神である」という記述とは、どちらが正しいのですか?  モーサヤ書15:1-4では、「御父と御子とは一つの神会を成し、かれらはまことに天地の真の永遠の父である」と教えられていますが、イエス・キリストが被造物であるとか、ルシファーの霊的兄弟だと教えている聖書の箇所、モルモン経の箇所はありますか?


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コメントとしてモルモン教会の信者、オムナイさんからお寄せ頂いた返答


全ての霊は父なる神の子らですから、ルシフェル(サタン)も例外ではありません。キリストは私たちの霊的長兄として捉えています。キリストはその霊の代表として救い主となり、旧約の神となりました。教義と聖約25章がわかりやすく書かれています。すなわち、神の前で権威を持もっていた神の一天使が、御父から愛されて御父の懐におられた独り子に背き、神と御子の前から落とされ、そして、滅びと呼ばれた。もろもろの天は彼のために泣き悲しんだからである。彼は暁の子ルシフェルであった。

3. モルモン教会は、イエス・キリストが、父なる神とマリヤとが性的関係を結ぶことによって誕生したと教えていますか?  マリヤは処女であったが、聖霊によってイエス・キリストを受胎し、出産したと教えていますか?  Journal of Discourses, Volume 4, Page218 は何と教えていますか?この教えと新約聖書マタイ1:23、そしてモルモン経アルマ書7:10の教えとではどちらが正しいのですか?


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コメントとしてモルモン教会の信者、オムナイさんからお寄せ頂いた返答


キリストが父なる神の肉体的な子であると教えられています。性的関係があったかなかったについては教えられていないようです。聖霊が仲立ちをし父なる神様の肉体的性質を受けついだと理解しています。

4. モルモン教会は、父なる神が骨や肉をもっておられると教えていますか?  Doctrine and Covenants, Section 130の教理と、新約聖書ヨハネ4:24、ルカ24:39の教え、旧約聖書エレミヤ書23:24の記述とどう調和しますか?


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コメントとしてモルモン教会の信者、オムナイさんからお寄せ頂いた返答


はい、神は骨肉の体をもっていると教えられています。また復活したイエス様も骨肉の体をもっていると信じています。生まれる前のイエスは旧約の神で霊体でした。青少年向けの教材には以下のように説明されています。ヨハネ4:24――「神は霊である」わたしたちは聖典のほかの聖句,特に現代の啓示を通して、神はその霊に,復活し栄光化された骨肉の体をまとっておられるということを教えられています。(創世1:2 6-2 7;ルカ2 4:3 9;教義と聖約1 3 0:2 2参照)

5. モルモン教会は、父なる神は以前、人間だったと教えていますか?  モルモン教会を設立したヨセフ・スミスの King Follett Discourse 最後の部分や、Journal of Discourses, Volume 6, pages 5-6 が、父なる神は以前人間だったのに神になったと教えていることと、モルモン経モロナイ書8:18で「神は変わりたもうことのない方で無限の過去から無限の未来にわたって同じ、不変のお方である」という教え、また、モルモン書 9:9,10,19に明確に教えられている、「神は昨日も今日も、いつまでも同じにましますお方、変わりたもうことのないお方である」ということとは、矛盾しませんか?どちらが正しいのですか?


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コメントとしてモルモン教会の信者、オムナイさんからお寄せ頂いた返答


父なる神も私たちと同じように人生の経験を経て「霊の父」となりました。神様も私たちも究極的には創造されたものではなく永遠の存在であり、その意味では変わる事のないものです。

6.モルモン教会は、私たち人間もモルモン教会の戒律を守るなら、やがて神になることができ、自分自身の惑星を与えられ、統治することになると教えていますか?  Doctrine and Covenants, Section 130, 132は、どのようなことを教えていますか?  私たちが戒律を守ることによって、やがて神になることができ、自分の惑星を所有し統治するということを教えている旧約聖書、新約聖書の箇所はありますか?あればどこですか?


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コメントとしてモルモン教会の信者、オムナイさんからお寄せ頂いた返答


「自分自身の惑星」というよりも「自分自身の宇宙」といった方が良いかも知れません。現在認知しうる恒星、惑星、も含め全ての空間は父なる神が治めています。冠「永遠の命」参照統治者が頭にかぶった環状の装身具。冠は日の栄えの力と主権と神の位にあることの象徴ともされる。神の戒めをすべて守って最後まで堪え忍ぶ者は,永遠の命の冠を受ける(教義20:14;モセ7:56;ジ―マタ1:1参照)。義の冠がわたしを待っている(2テモ4:8)。しぼむことのない栄光の冠を受けるであろう(1ペテ5:4)。主にあって死んだ者は義の冠を受ける(教義29:13)。彼らは父の住まいで冠を受けるであろう(教義59:2)。あなたがたが備えられた冠を受け(教義78:15)。わたしの右手における栄光の冠をあなたがたに約束した(教義104:7)。

7. モルモン教会は、イエス・キリストは、救いの道の一部分を成し遂げたお方でしかなく、人間はモルモン教会の戒律を守り、儀式(ordinances)を受けることによって自らの救いを完成させなければならないと教えていますか?  もしそうならば、モルモン経アルマ書11:39-40の「神の御子は罪を贖うためにこの世に降臨し、その名を信ずるすべての者の罪とがを負いたもう。このような人たちは、永遠の生命を受ける者であって、そのほかには一人も救いを与えられない」という教えは不十分だったのですか。  新約聖書エペソ2:8-9、ローマ4:4,5; 6:23、ガラテヤ2:16、テトス3:5、ヨハネ3:16-18、黙示録22:17は戒律を守ることや、儀式を受けることによってではなく、イエス・キリストを救い主と信じ受け入れる信仰のみによって、罪の赦し、永遠のいのちが与えられると教えていますが、これらの聖書の記述をモルモン教会はどう理解されますか?


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コメントとしてモルモン教会の信者、オムナイさんからお寄せ頂いた返答


イエス様は救いに関する道筋を全て整えられました。あとは私たち次第ということになります。使徒行伝(新約聖書) 13:38だから、兄弟たちよ、この事を承知しておくがよい。すなわち、このイエスによる罪のゆるしの福音が、今やあなたがたに宣べ伝えられている。そして、モーセの律法では義とされることができなかったすべての事についても、とあるように古い律法である「モーセの律法」では救われない、新しい律法すなわち「キリストの律法」でなければ救われない。というのが新約の主旨だと理解しています。ガラテヤ人への手紙(新約聖書) 6:2互に重荷を負い合いなさい。そうすれば、あなたがたはキリストの律法を全うするであろう。ヤコブの手紙(新約聖書) 1:25これに反して、完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は、聞いて忘れてしまう人ではなくて、実際に行う人である。こういう人は、その行いによって祝福される。


モルモン書の聖句ガイド「律法」神が定められた戒め,あるいは定め。天においても地上においても,祝福や罰はすべて律法に基づいて与えられる。神の律法に従う人々は約束された祝福を受ける。預言者ジョセフ・スミスは,人は国法にも従い,それを尊び,支持しなければならないと教えた(箇条1:12)。モーセの律法は,人々をキリストに導くための備えの律法であった。モーセの律法は,制限的規定や規則,儀式を定めたものであった。モーセの律法を成就した現在のキリストの律法は、完全な福音すなわち「完全な自由の律法」(新ヤコ 1:25)である。



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