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創造主の御恵みのみを基盤とし、信じるだけで救われる

天地宇宙万物を無から創造された造り主の御恵みのみによって、そのご愛を信じるだけで救われると聖書は教えています。それは、私たちの善行や、生活改善の努力、修行、宗教活動などと引きかえにもらうことができる、報いではありません。創造主の一方的な、気前よさ、ご親切ゆえに提供されている無代価のプレゼントです。
その創造主のご愛は、主イエス・キリストの十字架に顕されました。イエス・キリストは、私たちの創造主の御前における数々の失礼、つまり借金と、罰金のような負い目をご自分の身に一手に引き受け、十字架で血を流し身代わりに受けてくださいました。そして、墓に葬られ、三日目に死から甦られました。そのことの故に、私たちが、イエス・キリストを救い主、永遠の命の恩人として信じ受け入れるなら、罪の赦しと、永遠のいのちが無償で与えられます。
「ありがとうございます」と言って、お受け取りするか、「いりません」と言って断るか、「ただいま考え中」と言って決断をあとのばしするか選択肢は三つしかありません。創造主は、あなたが、今、心を開いて、このすばらしいお知らせ、Good Newsを信じお受け入れになることを願っていらっしゃいます。
創造主は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。 1テモテ2:4

知っているようで知らない
日本の宗教と慣習
池田 豊 著


全国のキリスト教書店でお求めください。

知っているようで知らない 日本の宗教と慣習


発行 ミニストリー・フォー・クライスト
661-0035 兵庫県尼崎市武庫之荘6-8-25 TEL 06-431-1045
発売 いのちのことば社
160-0016 東京都新宿区信濃町6 TEL 03-3353-9381
定価:1,500円(本体1,429円+税)
インドで釈迦が、教え始めた仏教の教えと、
日本で仏教として教えられている教えとの違いについて気づき、
興味を持っていらっしゃる方には、ぜひご一読いただきたく思います。
お読みくださった方々より寄せられたお声の一部

出家し永平寺で修行をつまれた方:「目からウロコ」の思いとともに「頂門の一針」をくらった思いもいたします。

熱心な仏教徒で四国八十八箇所巡りも何度かされ、お坊さんの変わりに、御経も上げておられた方:仏教に対する疑問が解けた。まだ、その世界で悶々としている友達にも送ってやりたい
クリスチャンの召天式(告別式・葬儀)や記念会(法要)に参列してくださったご親族やご友人の皆様への御礼に、また、お世話になった方々への感謝を込めた贈り物、お誕生日のプレゼントを始め、クリスマス・プレゼントなどにもどうぞ!

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聖書から語られるメッセージをインターネットで聞くことができます。24時間放送のフレンドシップ・ラジオの番組が以下のサイトからお聞きいただけます。
Bjapan聖書からのメッセージ・インターネット放送
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天国か地獄か?
それこそが重要な問題だ!

English page
Dr. Ray Stanford

人生で最も重要な質問は、
「私はいったい永遠をどこで過ごすのだろうか?」
という問いです。

下記のクイズに答えて、正しい解答を今、
あなたのものとしてください。

聖書の御言葉のみが用いられています。
人間の推測や意見をもとにしたものではありません。

天国に入れていただくためには、どのような資格が必要だとあなたは思いますか?
必要と思うものにチェックを入れて、その後、答えを見てみましょう。

□ 1. 創造主の律法を守る
□ 2. 慈善的な働きに寄付する
□ 3. 自分の最善を尽くす
□ 4. 善良な生活をおくる
□ 5. 良い行い
□ 6. キリストの黄金律(自分がしてもらいたいと思うことを他の人にもしてあげる)を実行する
□ 7. 教会に献金する
□ 8. 教会のメンバーとなる
□ 9. 定期的に教会の礼拝や集会に出席する
□ 10. 祈り
□ 11. 断食
□ 12. 水のバプテスマ(洗礼)を受ける
□ 13. 聖餐式(ミサ)にあずかる
□ 14. クリスチャンの両親のもとに生まれる
□ 15. 堅信礼(赤ちゃんや幼児の時に洗礼を受けた人が、大きくなってから公に信仰の告白をするための儀式)を受ける
□ 16. 懺悔や苦行を行う
□ 17. 終油(死ぬ間際にあるいは病気の時、神父より油を塗ってもらう儀式)を受ける
□ 18. 罪を悔い改める
□ 19. 罪に背を向け生活を改善し、罪を犯さない決心をする

解説
ご自分がチェックしたところの番号に相当する解答を確認してください。
1 と答えた方へ:だめです。この方法では、決して天国に入ることはできません。聖書はこう言っているからです。
(ローマ 3:19-28 をお読み下さい)
人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰による ローマ3:28

2, 3 または 4 と答えた方へ:この方法もだめです。これらはあなたを永遠の滅びから救うことはできません。聖書はこう言っているからです。
神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。 テトス3:5

5, 6 または 7 と答えた方へ:この方法もだめです。これらはあなたを永遠の滅びから救うことはできません。聖書はこう言っているからです。
あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。 エペソ2:8-9

8, 9, 10 または 11 と答えた方へ:この方法もだめです。どれほど善良な、よい動機から行ったものであったとしても、私たちは良い行いをすることによっては決して救われません。
聖書はこう言っているからです。
もし恵みによるのであれば、もはや行ないによるのではありません。もしそうでなかったら、恵みが恵みでなくなります。 ローマ11:6

12 または 13 と答えた方へ:この方法もだめです。水のバプテスマ(洗礼)や聖餐式(ミサ)は、イエス・キリストを救い主と信じクリスチャンになった人が、救われた後で受けるべきものです。私たちがなす行いによって私たちは救われるのではありません。キリストを信じる信仰のみによって私たちは救われます。聖書はこう言っているからです。
何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。 ローマ4:5

14 と答えた方へ:この方法もだめです。クリスチャンの両親から生まれたからということだけでは、あなたは救われません。聖書はこう言っているからです。
すなわち、肉の子どもがそのまま神の子どもではなく、約束の子どもが子孫とみなされるのです。 ローマ9:8
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。 ヨハネ1:12-13

「血によってではなく」という表現は、血縁関係によらないということを意味しています。救いを受けるためには、私たちは創造主によって、天よりの超自然的ないのちを与えられ、新しい誕生を経験しなければなりません。

15, 16 または 17 と答えた方へ:この方法もだめです。これらは人間が勝手に作り上げた教えに過ぎません。聖書には記されていない教えです。創造主は、こう言われます。
「彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』」 マタイ15:9

18 と答えた方へ:この方法もだめです。永遠のいのちを得るために「罪を悔い改めて救われよ」という表現は、実は聖書の中のどこにも見いだすことができません。“悔い改める”と日本語に訳されたギリシャ語のメタノエオという語そのものには、「悔いる」という意味などはなく、正確には、“考えを変える”という意味の用語です。それは、キリストを信じていない人が、考えを変えて、キリストを救い主と信じることを意味しています。使徒の働き20:21にはこう記されています。
神に対する悔い改め(神について今まで持っていた考えを変えること)と、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。使徒20:21

19 と答えた方へ:この方法もだめです。「罪に背を向け生活を改善し、罪を犯さない決心をする」ことで永遠の救いを得ることができると教えている聖句など、聖書の中には一つもありません。これは、救いの条件として、人間の行いを付け加えようとするものです。そしてこれは、“呪われるべきメッセージ”なのです。ガラテヤ1:8にこう記されています。
しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。 ガラテヤ1:8

「背を向ける、方向転換」という語と、悔い改めと日本語に訳された「考えを変える:メタノエオ」という語とは、別々の用語であることを心にお留め下さい。メタノエオというギリシャ語が、永遠の命を受ける救いの条件として「背を向ける、方向転換する」という日本語に訳されることは決してありません。あくまでも「考えを変える、思い直す」という意味の語です。メタノエオというギリシャ語そのものには、背を向けるとか、方向転換するというような意味はありません。

生活改善をしたり、罪をもう犯さないという決心をしたとしても、あなたは決して救われません。永遠の命を得ようとあなたがどのような良い行いをしたとしても、不十分です。イエス・キリストを救い主と信じる信仰のみによって、私たちは救われます。

私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。 1ヨハネ5:13

私たちはキリストの義をプレゼントとしてお受け取りすることで、天国に入る資格を自分のものとすることができるのです。キリストが私たちの罪の罰を、全部ご自分の身に引き受け、帳消しにしてくださったからです。

あなたがイエス・キリストを救い主と信じ受け入れる時、あなたは神の家族の一員となります。そして、あなたが創造主に従うなら、主に喜ばれ、よい報い、ご褒美をいただくことになります。しかし、もし不従順で反抗的な子供であれば、懲らしめを受けることになります。しかし、懲らしめを受けるようなことがあっても、あなたが神の家族としての身分を剥奪され、縁を切られるなどということは決してありません。

わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。 ヨハネ10:28
私たちは、救われるために創造主にお仕えするのではありません。そうではなくて、私たちは、創造主に救っていただいたので、主にお仕えするのです。
モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。 使徒13:39

永遠の命を得るには、私たちが何か良い行いを自分で成さなければならないということは決してありません。そうではなく、私たちに提供されている完全な義、キリストの正しさをプレゼントとしてお受け取りすればよいのです。キリストが私の罪を身代わりとなって引き受け、十字架の死によって償ってくださったと信じることによってそのプレゼントをお受け取りするのです。
神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。 2コリント5:21

あなたは、このプレゼントとして提供されている永遠のいのちを、生活改善をしたり、自分の良い行いをすることで引き替えにもらうということはできません。父なる神が天からお遣わしくださった、御子イエス・キリストについて記されている、よいお知らせ、グッド・ニュースを信じ受け入れることによってのみ、無償で提供されている永遠のいのちをいただくことができるのです。もしあなたが、この良いお知らせを拒否するならば、あなたは創造主を、信用できない嘘つきだと言っておられるのと同じです。
神の御子を信じる者は、このあかしを自分の心の中に持っています。神を信じない者は、神を偽り者とするのです。神が御子についてあかしされたことを信じないからです。そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。 1ヨハネ5:10-11

創造主は、ご自分の主権のもと、人間に自由意志を与えて人間が自らの永遠を自分で選び取る決断をすることができるようにしてくださいました。
御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。 ヨハネ3:18

イエス・キリストを信じ受け入れ、救われた後、創造主に従順に従うことによって、私たちの人生に愛、喜び、平安そして幸せがもたらされます。 (ガラテヤ5:22,23を参照してください。)

しかし、もし私たちが創造主に対して反抗的で不従順であれば、父が子供を叱るように、私たちは懲らしめを受けます。しかし、その懲らしめは、私たちを地獄におとすようなことには決してなりません。ちょうど父親が愛に基づいて子供を訓戒するようなものです。(1コリント3:15; 5:5; 11:32 を参照してみてください)
私たちが創造主から見捨てられ、縁を切られるなどというようなことは決してありません。
父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。 ヨハネ6:37
わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。 ヨハネ6:39

私たちの罪を全部背負って死んでくださり、死から甦られた方がおられるならば、そのお方を信頼することは、当然なことではないでしょうか。今、あなたも創造主にありがとうと申し上げ、イエスキリストを信じ受け入れ、天国に行く確信をご自分のものとなさいませんか。創造主はあなたを愛しておられます。あなたの罪の赦しと永遠のいのちをプレゼントとして今、お受け入れしませんか?そして、永遠のいのちがご自分のものとされたことを確信してください。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは、どのような人であろうと、御子(イエス・キリスト)を信じる者__________(あなたのお名前をご記入下さい)が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 ヨハネ3:16
あなたが、聖書の言葉を信頼し、上記の信じる者のところにご自分のお名前を書き入れられたら、創造主はあなたに、永遠のいのちをお与え下さいました。そしてあなたは今、そのことを確信を持って知ることができます。

まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたし(イエス・キリスト)を信じる者は永遠のいのちを持ちます(今、現在持っているのです)。 ヨハネ6:47

こんなすばらしいお知らせをあえて拒絶するような人がいたら不思議です。
あなたには明日の命があるという保障はないのです。今という時に、この救いを信じ受け入れる決断をなさるよう私はお勧めします。

もしご質問がありましたら、下の「Handbook of Personal Evangelism」のURL:
http://www.eph289.com/pebook/index.htm をダブルクリックしてみてください。 
あなたの疑問に対する答えが掲載されているかもしれません。
あるいは、個人的に私にEメールを書いてお送り下さい。
A. レイ・スタンフォード博士 (英文でのEメールのみ) Rstan289@aol.com
池田 豊 agmagape@msn.com

新約聖書に記されたメ タノイア、メタノエオというギリシャ語が日本語で「悔い改め」、「悔い改める」と翻訳されてしまったために、自分の罪を後悔し、生活改善をする決意が永遠の命を得る救いの条件であるかのように考えている方がおられますが、それは、聖書がキング・ジェームズ訳、欽定訳聖書に翻訳された頃に用いられていたrepentという英単語には、現代英語のrepentのように「後悔する、悔やむ、行為を悔いて改める決意をする」などというような意味はなかったということをご存じないからだと思います。メタノエオそのものには、罪に背を向けるとか、方向転換するという意味はありません。
英語の turn、日本語の180°方向転換するという意味に訳すことができるギリシャ語は、メタノエオでは、ありません。
trope トロペーという語がもとになっている、strepho ストレフォーという語です。
turn quite around or reverse (literally or figuratively): - convert, turn (again, back again, self, self about)という意味の用語です。新約聖書では、マタイ7:6で用いられています。
聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。
向き直ってと訳された言葉が、ストレフォーです。
また、「以前のところ、元に立ち戻る」という意味での return と英語に訳すことのできるギリシャ語は、epistrepho エピストレフォーという語です。
revert (literally, figuratively or morally): - come (go) again, convert, (re-) turn (about, again)という意味の用語です。新約聖書では、マタイ12:44で用いられています。
汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。そこで、『出て来た自分の家に帰ろう。』と言って、帰って見ると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みなはいり込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。」 マタイ12:43-45
悪霊が、以前いたところに帰ろう、 I will return と言ったときの言葉が、エピストレフォーです。この意味を表現するためには、メタノエオという動詞を用いることは適切ではありません。自分で決意して、方向転換し、もといたところに戻ろうと決意する意味を表そうとしたら、エピストレフォーを用いなければなりません。しかし、信じて救われるための条件であるかのように、ヨハネ福音書やローマ人への手紙、ガラテヤ人への手紙などの中でこの用語が用いられている例は、一つもありません。
メタノエオ自体は、考えを変える、違う見方をするという意味で、後悔の気持ち、悔やむ感情を意味する語は、メタノエオでも、エピストレフォーでもありません。メタメロマイという語です。(メタメロマイが使用されている例:マタイ21:29, 27:3; 2コリ7:8; ヘブル7:21)
マタイ18:3でもこのエピストレフォーが用いられており、日本語の新改訳聖書が、「悔い改めて」と翻訳しているので、不必要な混乱が引き起こされてしまいます。
このエピストレフォーという用語そのものには、決して、後悔するとか、自己反省し、自己改善するという意味はありません。
そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。「それでは、天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか。」そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真中に立たせて、言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。 マタイ18:1-4
日本語の口語訳聖書は、このところを、「心をいれかえて」と訳し、新共同訳聖書は、「心を入れ替えて」と訳しています。
ここでイエス様がおっしゃっていることは、パイドンという用語に表現されるよちよち歩きのような「小さな子供の時代の時のような心にもどらなければ、子供時代にリターンしなければ」という意味です。バック・トゥー・ザ・フューチャーではなくて、バック・トゥー・ザ・パーストしないとだめなんだよというのです。
つまり、弟子たちが、いったい誰が一番、創造主のお気に入りなのだろう。どんな立派な成績をあげたら、そのエリートの弟子としてふさわしいのだろう、イエス様のお気に入りナンバーワンは誰だろうと論じ合っていましたので、イエス様は、創造主の御前では、人間の業績、アチーブメントや、点数稼ぎは役に立たないよ、とおっしゃりたかったのです。
だれでもみんな、何にも自分ではすることができない赤ちゃんとして生まれてくるのです。
最初っから、お釈迦様のように、生れ落ちた瞬間に、立ち上がって天を指差し、「天上天下唯我独尊っ!」なんて叫ぶことのできる、大人のような状態で生まれてくる人などいません。
乳離れするような、まだよちよち歩きの、パイドンの状態というのは、お母さんお父さんに迷惑をかけることしかできない状態をさしているのです。
食べ物、着るもの、そしてオムツの世話まで、ぜんぶお世話になりっきりです。そんな自分を思い出さないといけないというのです。「あなたがたも、エピストレフォーして、つまり、幼児の頃の自分を思い出さない限り、迷惑ばかりかけることしかできない自分だということに心を戻さない限り、決して天の御国に入れません」ということこそが、イエス様のおっしゃりたかったことです。創造主の御前で、自分を一切主張することができない、徹底的にへりくだった心の状態のことをイエス様は指しておられたのです。
救いの条件としてではなく、救われた結果として、信じた人々が創造主のもとに立ち返った描写としてこの用語が用いられている例としては、新約聖書に記されている使徒9:35があります。
さて、ペテロはあらゆる所を巡回したが、ルダに住む聖徒たちのところへも下って行った。彼はそこで、八年の間も床に着いているアイネヤという人に出会った。彼は中風であった。ペテロは彼にこう言った。「アイネヤ。イエス・キリストがあなたをいやしてくださるのです。立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい。」すると彼はただちに立ち上がった。ルダとサロンに住む人々はみな、アイネヤを見て、主に立ち返った。 使徒9:32-35
ここで「立ち返った」、 turned to the Lord と翻訳された語が、エピストレフォーです。これは、イエス様を救い主として信じた人々が、結果として主のもとに返らせていただいたということを報告している箇所であって、決して、イエス様を信じる前に、救いの条件として要求されていることではありません。
このエピストレフォーが、幼児の時のように、自分の正しさや実績を誇れる状態になどなく、ただ、全部を信頼しお任せすることしかできないと自覚するいう意味で使用されている、マタイ18:3の箇所とは、正反対に、自分で創造主の御心を行うための決意をし、それを実行する者となるという意味で、エピストレフォーが、異邦人たちに対して永遠の命を獲得するための救いの条件であるかのように使用されている聖句は、一つもありません。
マタイ19章の「富める青年」が、「永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」という質問に対する、イエス様の「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。」という青年へのご返答は、その直前に記されている、19:13-15のパイドン、幼児たちが神の国にふさわしいとイエス様がおっしゃられたお言葉とのコントラストとして、理解すべきです。

聖書が教える正しい意味でのメタノイアについて詳しくお知りになりたい方は、このブログにも掲載していますが、下の 「メタノイア⇔悔い改めについての混乱」をクリックしてみてください。

メタノイア⇔悔い改めについての混乱

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