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エデンの園

070617            エデンの園        (創世記2:4?17)



於クライストチャーチJCF                                   牧師 池田 豊



これは天と地が創造されたときの経緯である。神である主が地と天を造られたとき、地には、まだ一本の野の潅木もなく、まだ一本の野の草も芽を出していなかった。それは、神である主が地上に雨を降らせず、土地を耕す人もいなかったからである。ただ、霧が地から立ち上り、土地の全面を潤していた。その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。神である主は、東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木とを生えさせた。一つの川が、この園を潤すため、エデンから出ており、そこから分かれて、四つの源となっていた。第一のものの名はピションで、それはハビラの全土を巡って流れ、そこには金があった。その地の金は、良質で、また、そこには、ブドラフとしまめのうもある。第二の川の名はギホンで、クシュの全土を巡って流れる。第三の川の名はヒデケルで、それはアシュルの東を流れる。第四の川、それはユーフラテスである。神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」  創世記2:4-17





エデンとは「歓喜」を意味する言葉です。法華経の第七巻、化城喩品(けじょうゆぼん)には、大通智勝仏(だいつうちしょうぶつ)という人のことが記されています。この人には16人の息子がいたそうです。そのうちの一人が、インドのお釈迦様、ゴータマシッダルタで、もう一人が阿弥陀さまだということです。また、もう一人アシュクという人がいますが、この人が阿閦=不動、原語のAksobhyaは「ゆるぎない」という意味の仏です。このアシュクが東方の歓喜国にいると書いてあります。エデンといってもよいでしょうか。法華経に記されている、この一連の人々は、歴史的に立証可能な人々のことではありません。そうではなく、かぐや姫や、ウルトラマン、ドラえもんと同様、作者、おそらく龍樹、ナガーラジュナの頭の中で作り上げられた、架空の物語に登場する、キャラクターたちと考えて間違い有りません。



一方、聖書の記述は、歴史的な事実の記録です。想像力を働かせて作り上げたお話ではありません。宇宙の全てのものを生み出す創造の御業に主は、「良し」と仰せられましたが、人間が創造されたときにだけ「非常に良かった」と記されています。





  I. イエスorノーあなたはどう思いますか?  (2:4-9)



A. 創世記2章にでてくる園の名はエデンという。  □YES □NO



答え:園の名前がエデンなのではなく、エデンという地の東に園をもうけられたようです。英語では、The Lord God planted a garden eastward in Eden.



B. 1章では、植物が人の創造の3日前になされているのに、2章では、人の創造(1:26)の後でも植物がなかったように書いてある。(2:5)これは、聖書に矛盾があることの証拠である。  □YES □NO



答え:そうではなく、一章で創造の概略を記した後、二章は創造された作品の一つ一つを補足解説している記述です。映画でも、最初に全体のストーリーを描写してから、フラッシュバックのように過去のシーンにもどり詳しく物語の説明をするようにストーリー展開がなされるものがあります。それと同じです。



C. 人が創造された当初は、雨が降ることがなかった。 □YES □NO



答え:雨が降るためには空気中の水蒸気が集まるための雨核となる埃の固まりが必要ですが、創造の最初にはそのようなものが大気中に無かったようです。ノアの大洪水の時に、皆さんはいきなり、雨が降ったかのように思っておられるかもしれませんが、聖書を注意深く読んでみてください。最初に雨が天から降ってきたのではありません。地の底から水が噴き出したとあります。おそらく、火山活動や、地震などが伴ったと考えられます。そのとき、火山灰の塵が空気中に吹き上げられ、雨核となったと考えられます。それで雨が降るようになったと創造論に立つ科学者たちは考えています。ですから、ノアの洪水前の世界は、雨が降らなかったのです。



D. 1章では、人間が無から創造されたように言っていながら、(1:27)2章では、既に創造してあったチリを材料に神が人間を創造したと言っている。これも明らかな矛盾である。      □YES □NO



答え:1:27では、バーラーと言う動詞、2:7では、ヤーツァールという動詞が用いられています。大地の塵で陶器が練り上げられて形作られるように、人間の肉体は造られました。しかし、あなたのあなたである部分、霊と魂は、何かの材料をもとにこしられられるのではありません。無からバーラーされる、創造されたのです。ですから、あなたがご臨終ですとお医者さんに言われて、息を引き取ってあなたの体が大地の塵にもどされても、あなたの霊と魂は創造主の御前で責任あるものとして存在し続けるのです。死はすべての終わりではありません。すべてが無であり、空であるというのは創造主を無視したときに行き着く帰結です。創世記1章と、2章の記述は矛盾ではありません。あなたの肉体そのものが、あなたの霊、魂なのではありません。創造主は区別して創造しておられます。ですから、身体に障害を持つ方がおられたとしてもその方の人間としての存在価値は、霊、魂のゆえに他の人と等しく尊いのです。最近、医療技術の発達により、お母さんのおなかの中に宿った赤ちゃんが、誕生前に身体的な障碍をおもちだということがわかったり、ダウン症のような病気をもった赤かちゃんであることがわかるようになりました。その結果、そのような赤ちゃんは、生まれる価値がないというので、出産前に堕胎し殺してしまう場合があります。それは、進化論的な適者生存、自然淘汰の考えで、生きる資格のある人と無い人との善悪を人間が勝手に決めてしまうことです。その考え方には、人間が肉体だけの存在で、霊と魂が創造主によって無から創造されたという聖書の主張を拒否する傲慢さが表わされています。



E. 善悪を知る知識の木の実とは、リンゴのことである。□YES □NO



答え:果実の種類名は記されていません。



F. エデンの園には四本の河があったとされている。   □YES □NO



答え:一本の河が四本に分かれていました。



G. 人はエデンの園で働かずただ歌を歌い楽しんでいた。□YES □NO



答え:人間には園を耕やし、またそこを管理する責任が与えられていました。



H. 人は、園のどの木からも実をとって食べる許可をもらっていたが、当初、食べてはいけないと言われた木が二本だけあった。  □YES □NO



答え:善悪の知識の木からだけ取って食べてはならないと言われていました。



I. 神は、人が禁断の木の実を食べたら「必ず死ぬ」と言ったのに、アダムは、食べた後も、のたうち回って死んだりせず、930歳まで生きて、死んだではないか。(5:5) 聖書は、矛盾だらけの本だ。アダムの年齢だってホントかどうか。これは、神話として、おとぎ話のように理解すべきだ。    □YES □NO



答え:聖書が「死ぬ」と言うときは、「分離」を意味します。肉体の死は、霊・魂が肉体から離れることを、つまり分離のことを意味しています。しかし、人間が、禁断の木の実をとって食べたときに、霊的に創造主との親しい関係から分断、分離され、霊的な死を経験したのです。その結果、肉体も死を経験しなければならないことになりました。人間の寿命については、ノアの時代に起こった大洪水について学ぶときに詳しくみたいと思います。聖書の中に記された記述は、法華経とは違って、おとぎ話や、作り話のようなものではありません。歴史的に真実な記録です。





II. 人間は創造主のみかたちに似せて創造された (1:26-27; 2:7)



A. 創造主のみかたちとは、何か



1. TSELEM (ラ語imago;ギ語eikon) 構成、形、影、機構



"shape, resemblance, figure, shadow." shade; a phantom, (figuratively) illusion,  resemblance; a representative figure, especially an idol





2. DEMUTH(ラ語similitudo;ギ語homoiosis) 抽象性、永遠志向性、道徳性 resemblance; concretely model,  shape; adverbially



like:--fashion, likeness, manner, similitude.



B. TSELEMの意味で三位一体の唯一の創造主に似せて造られた人間



人間は、三位一体の創造主に似せて造られています。



1. 1テサロニケ5:23



平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。 1テサロニケ5:23



2. ヘブル4:12



神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。 ヘブル4:12



3. ヨブ27:3



私の息が私のうちにあり、神の霊が私の鼻にあるかぎり、 ヨブ27:3



4. ヨブ33:4 



神の霊が私を造り、全能者の息が私にいのちを与える。 ヨブ33:4



5. ヨブ34:14-15



もし、神がご自分だけに心を留め、その霊と息をご自分に集められたら、すべての肉なるものは共に息絶え、人はちりに帰る。 ヨブ34:14-15



日本語では、肉体の死を迎えるときに、「息を引き取る」という表現を用います。このことからも、人間は、肉体を大地の塵で形作られ、霊・魂は創造主の息を吹き込まれ、いのちが与えられ生きる者とされたのです。ベンツや、トヨタ、ホンダの自動車もガソリンが満タンにはいっており、最高級のエンジンが搭載されていたとしても、最初、点火プラグに火花が散らなければただの箱です。人間も創造主によっていのちの息が吹き込まれ、はじめて生きる者とされるのです。その意味で、バーラー、あなたは無から創造されたのです。あなたの肉体は、また土に帰り、リサイクルされます。



また、人間は、男と女とに創造され、二人が結婚して一体となる、一つとなると聖書は、言います。実は、この「一体となる、一つとなる」と翻訳された言葉が、聖書の「創造主は唯一である」と言うときの、唯一という語と同じ言葉なのです。Echad エカッドという語です。



聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。申命記6:4



口語訳聖書では、こう訳されています。



イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。 申命記6:4



それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。創世記2:24



この言葉は、単一という意味の一つではなく、厳密にいえば一組という意味です。父、御子、御霊の三つの主が、一組でユニークな唯一の創造主を意味するというのです。それと同様に、イエス・キリストによって結ばれた男性と女性が結婚し、この三つが一つとなる。これが結婚です。そして、この結婚したカップルは、ユニークな人類の歴史上他に一つとして同じカップルがない、唯一の夫婦なのです。このTSELEMの意味において人は、機構、構成、かたちの上で創造主に似せて造られたのです。





C. DEMUTHの意味で、人は、創造主の属性と一部、似た部分を制限されたかたちではありますが、分け与えられました



1. 自由意志を持つ者として(制限されているが自由を与えられた)



2. 知恵を持つ者として、知識を求めるものとして



3. 感情を持つ者として、しかも自分の感情を制御できる者として



4. 愛と聖さ、正義、美を追求する者として



5. 永遠を求め、意識する者として人間は創造されました。



  伝道者の書3:11



神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。 伝道者の書3:11



6. 人生の目的、意義を見いだそうと創造主を求める存在として



7. 創造的なことがらを求める者、絶えず向上することを追求する者として



D. 神殿や宮を建てたら、最終的に行うことはなんでしょう?



ご本尊(像)を安置することですね。



創造主は宇宙を創造し終えたとき、創造の完成として、ご自身の像を置かれました。宇宙が神殿だとして、ご本尊はなんだと思いますか?





III. 潤す水を創造主はあらかじめ用意された (2:10?14)



A. 一つの河が園のすべてを潤していた



あなたの人生を潤すのは、天地宇宙を無から造られた、三位一体の、唯一なる創造主です。



B. その河は、四つに別れ、流れていた



この創造主によってあなたの人生はあらゆる必要が満たされます。



1. ピション=湧き出る いのちの泉 アラビヤ地方



湧き出るいのちの水を与えられます。



2. ギホン=吹き出す 勢いを与える クシュ;エチオピア



疲れ果て、へとへとになったときも勢いが与えられます。



あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。 イザヤ40:28-31 



3. ヒデケル=急流 敏速さ、広範囲を潤すこと アッシリアの東



あなたの人生全般、広範囲に創造主の恵みはあなたを潤します。あなたには欠けるところ、乏しいところがなくあらゆる境遇に対処する秘訣を与えられます。



主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。 詩篇23:1



乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。 ピリピ4:11-12



4. ユーフラテス=甘美 潤いある豊かさの象徴 アッシリア



私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。 エペソ1:7



しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」 ヤコブ4:6 



C.生けるいのちの水の泉があなたを潤すために準備されている



1. ヨハネ4:13-14 



イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」 ヨハネ4:13-14



2. ヨハネ19:28



この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く。」と言われた。 ヨハネ19:28



イエス・キリストが私たちの罪のために身代わりとなって十字架にかかり、本来私たちが受けなければならなかった永遠の滅びという、地獄の炎に入れられ渇く苦しみを代わりに受けてくださったのです。そのために主は十字架の上で、「わたしは渇く」と言われたのです。



3. 黙示録22:16-17



「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください。」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。 黙示録22:16-17





IV. 耕し、守る責任が人間に与えられた (2:15?17)



A. 耕す責任 収穫を得るために



B. 守る責任 適切な手入れや管理をし、環境を万全な状態に保全し、育てることも含まれる





最後に・・・



創造主は宇宙を創造し終えたとき、創造の完成として、ご自身の像を置かれました。宇宙が神殿だとして、ご本尊はなんだと思いますか?



そうです。人間です。創造主の御かたちに似せて造られた人間が、創造の完成のピリオドとして置かれたのです。ある意味で、あなたも私も創造主にとっては、宇宙で一番大切な宝物のような貴重品です。だから神の像である私たちが、被造物や人間が自分の手でこしらえた偶像を拝んでいてはおかしいことなのです。



創造主が、ご自身を信じる契約の民、イスラエルに対して語られたこの愛の告白をお聞きください。



「その時、・・主の御告げ。・・わたしはイスラエルのすべての部族の神となり、彼らはわたしの民となる。」主はこう仰せられる。「剣を免れて生き残った民は荒野で恵みを得た。イスラエルよ。出て行って休みを得よ。」主は遠くから、私に現われた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。」 エレミヤ31:1-3



わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。 イザヤ43:4a





わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。



結婚しておられる方々は、あなたのパートナーにこのような愛の告白の言葉を語ったことがありますか?



「世界で、いや、人類の歴史上、宇宙一すばらしい、大切な人は、あなた一人です。」と、



創世記で、創造主が結婚する二人に語っておられる、「二人は一体となる」という言葉の背後には、そのような意味があるのです。





サイモンとガーファンクルという二人の若者が昔、ヒット曲を出しました。



覚えている方はおられますか?日本語では、「明日に架ける橋」という曲名でした。英語ではBridge over  troubled waterという曲名でした。



ポール・サイモンがこの曲を書いたとき、最初アーティーは自分では歌いたくないといって、「ポール、君自身が歌ったらどうかい」と勧めていたそうです。結局アーティが歌うことになったのですが、ポールは後に非常に悔やむことになりました。コンサートでアーティが歌うときは聴衆はいつも一番の大歓声。ポールはアーティーが歌っている間「ありがとう、みなさんこれは僕が書いた曲なんだ」と自分に言い聞かせなくてはならなくなってしまった。このことが二人を解散させるきっかけの一つだとも言われているそうです。解散後、セントラルパークで一時的に再結成コンサートをおこなった時にもこの曲が歌われました。でも、ポールにはまだこだわりがあったようで、アーティが歌っているときポールは全く出てこないし、ギターも弾いていません。



このようにサイモンとガーファンクルにとって、曲の内容とは裏腹に二人を別れさせる原因の一つとなってしまった曲ですが、皮肉にも、彼らのヒット曲の中でも最大のヒットとなった曲です。





アルバム発売と同時にこの曲はシングルカットされ1970年2月28日から6週連続No.1を獲得。アルバムの方は、全米アルバムチャート1位を10週に渡って独走。イギリスでは何と7ヶ月もの間1位にいて1100万枚ものセールスを記録する大ヒットアルバムとなったのです。その年に計6個のグラミー賞も獲得していて、ビートルズでさえ同時期に発売した「レット・イット・ビー」が「明日に架ける橋」におされて3/11に初登場6位でした。「レット・イット・ビー」が一月後の4/11まで1位になれなかったのは「明日に架ける橋」がヒットし続けていたからです。日本でも当時26万枚を売り上げる大ヒットとなった曲です。





この「Bridge Over Troubled Water」というフレーズは実はポールの発案ではありません。1940年代から50年代にかけて活躍した黒人のゴスペルグループ「THE SWAN SILVERTONES」のヒット曲「Oh Mary Don't You Weep」のなかで、当時メンバーだった世界最高のファルセットテナーとしてポール・サイモンが尊敬する、ジター牧師が歌った「I'll be a bridge over deep water if you trust my name」にヒントを得て作られたものです。





この事実を、インターネットに発表しておられる、トキオさんは、こう締めくくっておられます。



http://www5f.biglobe.ne.jp/~gospel/a-column201/column/rock/1069599351.html





さらにこの曲は、よくキャロルキングの「君の友だち」と同様友情を表していると思われがだが、"I" を(God) Jesusとした方がピッタリとくる。



困難に直面した時に真の慰めを与えてくださるのは、イエスだけであるからである。直接「Bridge Over Troubled Water」というフレーズは聖書にないが、いたるところで神が私たちの苦難に対して慰めてくださることが、書かれている。たとえば、第二コリント人への手紙の1章4節に



神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。



とある。「Bridge Over Troubled Water」はこの通りまぎれもなく神への賛美である。





歌詞を日本語に訳してみましたのでお聞きください。





君が疲れ果て、 消え入りそうになった時



目に涙があふれる時、僕がその涙を拭ってあげよう 



僕は君の味方だよ そばについていてあげよう



きびしい状況になった時



頼れる友が、一人もいないそんな時



激流となって流れる川に架けられた橋のように



僕は、君のために この身を投げ出そう





君が落ち込んで、何もする気力がなくなった時



君が町の通りに出て黄昏がせまり、やるせなく思う時 



僕が、君を慰めてあげよう



暗闇が襲ってくる時そして、回り中から傷つけられ、痛みうめく時



激流となって流れる川に架けられた橋のように



僕は、君のために この身を投げ出そう





幸せに向かって帆を張るんだ、銀の乙女よ



帆を張って、出航するんだ 



君の輝くべき時がきた



君の望みが全て、かなえられる時が 



まばゆいばかり輝いて、夢が実現するのをご覧



君に友が必要なら、ほら、君のすぐ後ろに、



僕が船を走らせているよ



激流となって流れる川に架けられた橋のように



僕が、君の心に 安らぎをあげよう



激流となって流れる川に架けられた橋のように



僕が、君の心に 安らぎをあげよう





結婚しておられない方や、現実の結婚生活で問題を感じておられる方は、私たちを創造してくださったイエス・キリストが私たちに真実の愛を注いでおられることに気づいてください。



「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。」 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」



そうイエスさまは、あなたに向かって語りかけておられます。イエスさまこそ、あなたの人生の嵐の吹きすさぶ中、濁流が流れる川の上に架けられた橋のように、あなたのためにご自分の命を捨てて、文字通り身を投げ出し、十字架に架かってくださったお方なのです。







アクション・ポイント(生活への適用)



1.自分が創造主のみかたちに似せて創造されたものであり、宇宙という神殿のご本尊、ご神体のようなものとして、本来とても価値ある、重要な存在として造られ、エデン(歓喜)の園に置かれた者であるということについてどう思いますか。



2.生けるいのちの水を、私は創造主よりお受け取りしたということがおありですか。黙示録22:16-17の御言葉によれば、それは手に入れにくいものでしょうか。それとも、誰でも受け取ることが可能なものでしょうか。あなたはもうお受け取りしましたか。



3.創造主が、初めから労働の責任を人間に与えておられたということは、私にとってどんな意味を持っているでしょう。(2テサロニケ3:6-12) 耕すことと、守ることの意味は、どのような事だと思いますか。地球資源の開発、また、地球環境の破壊や保護などとは、どのような関係にあるでしょう。他の人と語り合ってみましょう。







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