FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

第七の日

70610                     第七の日             (創世記2:1?3)



於クライストチャーチJCF                                                牧師 池田 豊





こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。それで神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。神はその第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。 創世記2:1-3





 皆さんは、休みをとることについてどう思いますか?休むのが下手な人はいませんか?休むと怠けているように思い、自分で自分を窮屈にしてしまう人がいます。休むと嫌悪感、罪悪感さえいだく人がいます。日本人に多いようです。以前ある本で、日本のお父さんたちが、自分の子供たちと会話する平均時間について書いてある記事を読みました。一日平均どのくらい、日本のお父さんたちは自分の子供と会話の時間をもっていると思いますか?私が読んだ本では、一日、たった四秒だと書かれていました。仕事で忙しいから、お父さんたちが家にいないのだそうです。



 エコノミック・アニマルといわれ、その勤勉さを世界中に印象づけたのが日本人です。私たちは、仕事効率、能率の上でも日本企業は世界一だと思いこんでいます。しかし、実際日本人の労働生産効率は他の欧米諸国とくらべ低いのです。あげくのはて、狂ったように働かされ、過労死当然の滅私奉公を強制させられます。企業の儲けが増えていっても、そのぶん働く人々が使い捨ての紙コップのように、どんどん廃棄されていくのですから・・・無視はできません。今日は休むことについて創造主の御言葉より学びたいと思います。





  I. 第七の日は主の創造の御業が完成したことを告げる



自然界を注意深く観察してみると、それぞれの生物はその種類に従って初めからそれぞれの特徴をもったものとして、設計され造られていることがわかります。雄と雌がそれぞれ独自に、また別々に偶然進化していったとしたら、そのような生物は子孫を残すことができないので、淘汰され絶滅してしまいます。人間も男と女が同じ時期にであわなければ、子供は生まれません。結婚適齢期という言葉もありますが、お互い年をとりすぎたり、病気になったりしたら子孫を残すことができません。先々週ご紹介したハンマーオーキッドというランの一種、ドラカエア・グリプトドンという花のような植物は、コツチバチという蜂のオスが羽のないメスに抱きついてくることを想定し、てこの原理を利用した花を咲かせます。ご丁寧にコツチバチのメスが放つフェロモンにそっくりの臭いまでただよわせてオスを誘うのです。オスが抱きついてきたその衝撃と空高く飛び立とうとする浮力で、花の茎は、ちょうつがいのような関節を支点にして跳ね上がり、オスの背中がドラカエア・グロプトドンの雄しべにぶつかり、その反動で雌しべに花粉が付き、受粉するのです。この精巧なメカニズムの歯車一つでも狂ってしまえば、ドラカエア・グロプトドンの種はできず、この植物は地上から姿を消します。これはどう考えてもそれぞれが無関係に、独自で長い時間をかけて進化した結果だとは思えません。このハンマーオーキッドという植物と蜂という昆虫が、初めから互いの存在を想定した上で出現してきたとしか私には考えられないのです。そのようなわけで、私は、この世界の創造は、文字通り六日間で創造主がお造りになったのだと信じています。そして聖書は、創造の御業を完成なさった主が七日目に休まれたと語ります。しかしこれは、創造主が疲れ果てて休まれたという意味ではありません。



A. 創造主が疲れ果てて休んだという意味ではない



1. イザヤ40:28



あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。 イザヤ40:28



2. 詩篇121:3-4



主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。 詩篇121:3-4



3. ヨハネ5:17



ベテスダと呼ばれる池のところで主イエスさまが38年間病気で寝たきりになっている人を瞬間的に癒されたことがありました。ところがその日が土曜日で安息日でした。ユダヤ人の宗教家たちは、安息日だというのに病気を治したりしてはならないと非難し、イエスさまにくってかかったことがありました。その時、主はなんと答えておられるでしょう。ヨハネ5:15-17を見てみましょう。



その人は行って、ユダヤ人たちに、自分を直してくれた方はイエスだと告げた。このためユダヤ人たちは、イエスを迫害した。イエスが安息日にのようなことをしておられたからである。イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」このためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っておられただけでなく、ご自身を神と等しくして、神を自分の父と呼んでおられたからである。 ヨハネ5:15-17



このことから、創造主は、第七日目に創造の御業を休まれたわけであり、その他のことをなさっておられた可能性があるのです。創造の業とは別のことをして働いておられたとしてもおかしなことではありません。読売ジャイアンツの野球選手たちが、休暇をとっておられるところがニュースで放送されていたことがあります。野球をしていませんが、ゴルフをしていました。野球選手たちにとってゴルフをするのは休暇なのです。プロゴルファーの人たちにとってゴルフをすることは休みにはなりません。安息とか休みというのは、何もしないということを必ずしも意味していません。



B. 創造の御業が六日間で完全に完成したことを表す 創世記11:31





II. 第七の日は、他の日と区別された



A. 創造主は、第七日目を祝福され、聖なるものとされた



創造主は六日間でこの世界をお造りになり、七日目を祝福され、聖なるものとされました。この「聖」とするというという表現は、ヘブル語のもともとの意味で「区別する」という意味です。出エジプト記には、安息の命令がイスラエル民族に対して与えられたことが記されています。



安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。・・あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。・・それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。  出エジプト20:8-11





B. 主の安息が定められたのは人間の益のためであった



イスラエル民族が他の民族と区別されるためにこの安息の規定が設けられました。しかしこれは、イスラエルの人たちに対して創造主がいじわるをなさったということではありません。「がんばれ、がんばれ、しっかりやれよ。他の民族に負けるなよ」と神がイスラエルの人たちに発破をかけるとしたら、「おそらく、怠けたりせず、休まず働け。私に恥をかかせるんじゃないぞ。歯を食いしばってでも休まず働け!」と命令したとしても不思議ではありません。ところが、聖書の神は、イスラエルの人たちに対して、「働くな!休め、休め!」と命令しておられるのです。これは、仕事中毒患者が多い日本人にとってとても奇妙な命令です。しかし、これは、実は、イスラエルの人たちの益のためでした。イエスさまはマルコの福音書でこう言っておられます。



1. マルコ2:27-28



また言われた。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。人の子は安息日にも主です。」 マルコ2:27-28



2. イザヤ58:3-59:2



イスラエルの人たちが、安息日を他の日と区別するとはどのようなことを意味していたのでしょう。どのような点で土曜日の過ごし方が他の日とは違っていなければならなかったのでしょう。その心構えについてイザヤ書58:3-59:2に記してあります。58:13-59:2までを見てみましょう。



もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を「喜びの日」と呼び、主の聖日を「はえある日」と呼び、これを尊んで旅をせず、自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、そのとき、あなたは主をあなたの喜びとしよう。「わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う。」と主の御口が語られたからである。見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。 



イザヤ58:13-59:2



C. 安息の規定を破った者は死刑だった



契約の民であったユダヤ人たちにとって、この安息の規定を守ることは非常に重要でした。もしこの規定を破る人がいたら、民数記15:32-36、出エジプト31:14-17の御言葉を見ると死刑に処せられました。



1. 民数記15:32-36



2. 出エジプト31:14-17



セブンスデー・アドベンチストの方々は、土曜日が安息日だというので、土曜日を特別な日と考えておられます。そしてそのようにすることで律法を守っていると考える方々が多いのです。ところが、旧約聖書をよく読むと、実はこの安息の規定というのは土曜日だけのことでは決してありません。



D. 主の安息は、土曜日の一日だけの掟ではない レビ記25:4,8-12を見てみますと、少なくとも土曜日とともに次のような命令があるのです。



1. 七日目ごとの安息 これが土曜日の規定です。そしてそれ以外に



2. 七年目ごとの安息の年 一年間休む、借金をチャラにし奴隷を解放する



「イスラエル人に告げて言え。わたしが与えようとしている地にあなたがたがはいったとき、その地は主の安息を守らなければならない。六年間あなたの畑に種を蒔き、六年間ぶどう畑の枝をおろして、収穫しなければならない。七年目は、地の全き休みの安息、すなわち主の安息となる。あなたの畑に種を蒔いたり、ぶどう畑の枝をおろしたりしてはならない。あなたの落ち穂から生えたものを刈り入れてはならない。あなたが手入れをしなかったぶどうの木のぶどうも集めてはならない。地の全き休みの年である。 レビ25:2-5



七年の終わりごとに、負債の免除をしなければならない。その免除のしかたは次のとおりである。貸し主はみな、その隣人に貸したものを免除する。その隣人やその兄弟から取り立ててはならない。主が免除を布告しておられる。外国人からは取り立てることができるが、あなたの兄弟が、あなたに借りているものは免除しなければならない。そうすれば、あなたのうちには貧しい者がなくなるであろう。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えて所有させようとしておられる地で、主は、必ずあなたを祝福される。 申命記15:1-4



もし、あなたの同胞、ヘブル人の男あるいは女が、あなたのところに売られてきて六年間あなたに仕えたなら、七年目にはあなたは彼を自由の身にしてやらなければならない。彼を自由の身にしてやるときは、何も持たせずに去らせてはならない。必ず、あなたの羊の群れと打ち場と酒ぶねのうちから取って、彼にあてがってやらなければならない。あなたの神、主があなたに祝福として与えられたものを、彼に与えなければならない。 申命記15:12-14



3. 七回目ごとの安息年の翌年、50年目のヨベルの年の規定もあります。



あなたは、安息の年を七たび、つまり、七年の七倍を数える。安息の年の七たびは四十九年である。あなたはその第七月の十日に角笛を鳴り響かせなければならない。贖罪の日に、あなたがたの全土に角笛を鳴り響かせなければならない。あなたがたは第五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがたのヨベルの年である。あなたがたはそれぞれ自分の所有地に帰り、それぞれ自分の家族のもとに帰らなければならない。この第五十年目は、あなたがたのヨベルの年である。種を蒔いてはならないし、落ち穂から生えたものを刈り入れてもならない。また手入れをしなかったぶどうの木の実を集めてはならない。これはヨベルの年であって、あなたがたには聖である。あなたがたは畑の収穫物を食べなければならない。 レビ25:8-11



E. 七の不思議



1. 第七の月は聖なる月であるとユダヤ人たちは考えました



2. 過ぎ越しの祭りから五旬節ペンテコステまでの間には七週間ある



3. 過ぎ越しの祭り、仮庵の祭りはそれぞれ七日間



4. 音楽でも七音 ドレミファソラシ



5. 七色の虹



6. 一週間には七日間 



解剖生理学博士の河西達夫(かさい たつお)氏が以前、クリスチャン新聞に「人体は小宇宙」という文章を発表しておられました。そこには、七日を一区切りとするリズムがあることもウサギの歯や人間の歯に刻まれた年輪で確かめられていると記されていました。



イルカの歯には、28(7x4)日ごとに印が刻まれるそうです。その印が1年に13回刻まれます、そしてそれが区切りとなり、大きな印に変化すると言われています。http://www.panlibrary.org/7days/day1.html



7. 江戸温泉物語



徳川家康が熱海温泉でいろんな旅館の温泉に入り、一廻り七日間かけて湯治を実践したそうです。それが後の江戸っ子の湯治ブームを引き起こしました。その結果、この七日かけて病気を治すという湯治法が根付くことになります。家康の熱海湯治から四百年を経た平成の現代でも、その温泉治療法を



実践している人がおられるといいますから驚きです。ニュージーランドでもロトロアなどで七日かけて湯治をしてみてはいかがでしょうか。これは単に家康がそうしたからと言って偶然広まったというわけではなかったようです。



免疫力を高めるのにこの七日という単位が、体によいリズムであることを日本人は経験的に知っていたのです。そのことが理にかなっている治療法だということが、日本とドイツの温泉医学者によって、最近、解明されました。阿岸祐幸(あぎしゆうこう)・北海道大学名誉教授やドイツの温泉生理学者ヒルデブラント博士等は、湯治の開始によって、ひずんだ状態にある生体の諸機能がほぼ七日周期のリズムを描きながら正常化していくことを突き止めたのです。この七日単位の湯治法は、生体リズムを整えるうえで適切であったことが科学



的に証明されたのでした。



参考資料:松田忠徳(札幌国際大学教授)/江戸温泉物語『週刊新潮2005.8.25』 http://kara-sen.cocolog-nifty.com/buntai/cat827865/index.html





III. 旧約の安息の規定をみて、これではとても守れないと思うあなたへ



旧約聖書の安息の規定をよく読んでみると、現代の私たちにとってとても守ることができないと感じるのは、私一人ではないと思います。土曜日に礼拝するというだけのことではないからです。でもご安心ください。そもそもこの安息の律法は、弥生式土器の中頃に、イスラエル民族に対して創造主がお与えになった掟です。私たち日本人に対して与えられた法律ではありません。そして、イエス・キリストがおいでになり、十字架で私たちの身代わりになって死んでくださったことにより、律法が完全に成就されたのです。そして主イエスが死から甦られたことによって、ユダヤ人と異邦人との区別が必要なくなり、新しい時代、キリストの身体なる教会時代となったからです。



A. 使徒13:37-39



しかし、神がよみがえらせた方は、朽ちることがありませんでした。ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。 



使徒13:37-39



B. ガラテヤ2:15-16



私たちは、生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。 ガラテヤ2:15-16





C. コロサイ2:13-17



あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです。 コロサイ2:13-17



D. 日曜日は、主の定められた安息日ではない



厳密な意味では、日曜日は、聖日と呼ぶよりは、主の日、主日がふさわしいと思います。休みのための日ではありません。



1. 日曜日は、主イエスの復活の日であり初穂の祭りの日です 主イエスさまは、墓に葬られ、この地上での活動を停止されましたが、日曜日に活動を再開されたのです。日曜日はイエスさまが休まれた日ではなく、活動を開始された日です。



2. 日曜日は、聖霊降臨の日:ペンテコステの祭りの日です。この日もご聖霊が休まれた日ではなく、その反対に活動を開始された日です。



3. 休みの日ではなく、主のための活動の日



新約聖書を見ると、日曜日は主のために活動する日です。しかし、日曜日だけを特別な日と考えるよう必ずしも聖書は私たちに命令していません。ローマ人への手紙14:1-5を見ると何を食べるか何を飲むかということ同様、何曜日を特別に大切に考えるかどうかは、私たちがそれぞれ自分の心で主の前に決めることだと聖書は言っています。



あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜よりほかには食べません。食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。日を守る人は、主のために守っています。食べる人は、主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。食べない人も、主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。 ローマ14:1-7





 聖書は、休むことを命じています。それは、怠惰を奨励することではなく、一つ一つの責任を効率よく果たしていくためにケジメをつけることを、基本的に教えているのです。四六時中緊張のしっぱなしでは、集中して物事にあたることは不可能です。



 休まずに疲労状態を継続していくと、疲労は加速度的に驚くべき速さで蓄積します。このことをアメリカの合衆国陸軍が、何百回もの実験し、テストした結果、証明しています。米兵の行軍演習で、一時間に対し、十分くらいリュックをおろして休息させた方が、行軍もはかどり、耐久力も強くなるという事実を発見したのです。ですから、合衆国陸軍では、休息を非常に重要視し、強調しています。





 日本でも、疲れる前に休息を強制的にとらせた指導者として有名な人物がおります。豊臣秀吉こと、木下藤吉郎です。破壊された清洲城の城壁を木下籐吉郎がたったの三日間で修築した話は有名です。1560年、桶狭間の合戦で、見事今川軍をうち破った信長が、今度は美濃の斎藤道三の軍との決戦準備をしていた緊迫状況下だというのに、なんと嵐で清洲城の城壁が200?ばかり壊れてしまいました。1563年のことです。信長は大急ぎで修理を命じましたが、なかなか工事は進みません。信長の現場視察に随行していた、藤吉郎は、「この重大事に、二十日もかかって、まだ、いつできるか見当もつかぬとは、何事じゃ」と批判しました。「俺なら、三日でやりとげてみせる!」とつい勇み足の大見得を切ってしまったのです。



「それなら、お前やってみろ!」と信長に言われ、急きょ、藤吉郎は修復工事を任かされることになりました。家族は真っ青になりました。友人たちも心配しましたが、藤吉郎本人は、いたって冷静。



 藤吉郎は、城壁を50区画に分け、4?の一区画ごとに責任者を高額な賃金で雇いました。そして、その下に、大工三人、左官二人、石工五人の合計十人の職人をつけさせました。また、それ以外に職人たちが責務に専心集中できるようにと、雑役のための助手を10人つけたのです。つまり、20名一組の班を編成しました。そしてその班を5班集め一組とし、一人の棟梁を組長として立て指揮させました。そのような組を十組つくり、藤吉郎本人が、その全十組の総指揮官となったのです。また、別にスタッフとして、信号合図係と給養係(休憩時の職人の接待係)を登用しました。組織ができあがった翌朝、誰よりも先に藤吉郎は現場に現れ、時間が来ると、進軍太鼓で一斉に仕事につかせました。そして、一定時間働くと、拍子木を打ち鳴らさせ、仕事をやめさせ、休憩をさせたのです。藤吉郎は、石の上に立って、陣頭指揮に立ち、采配をふりました。もし、休まない者がいると「休め、休め、休め!」と怒鳴り散らしたそうです。三日後には、見事に城壁を作り上げました。しかも、きれいに後かたづけまで済ませて、信長の検分を迎えたのです。



 藤吉郎から学ぶことはいくつかあります。「200?の城壁修理を三日間でやれ」と言われれば、千人の作業員たち、各々が、自分一人で200?を修復しなくてはならないと錯覚したでしょう。ところが、「4?を20人でやれ」と言われれば、「三日もいらない。」と勢いたつものです。そして、「4?だけでよい」と仕事の限界が明確であれば、「これを早く片づけてしまおう」と思うのが、働く者の自然な心理です。



 そして、次に適材適所、無駄のないようにスタッフを編成し、特に重要な仕事をする熟練者の能力を完全に発揮できるよう配慮した点です。



 そして、三つ目に、労働者には、必ず、休息をとらせ、その休息時間に疲労が蓄積しないようお世話係をちゃんと付けた点です。時間の区切りを明確に伝達するため、藤吉郎は、拍子木を打つ、時間係をもうけたのです。



 チームを組んで仕事をする場合には、全員いっせいに取りかからなければ仕事になりません。また、休む時には、休ませないと欠陥品をつくってしまうのです。



 聖書の中で、創造主が人間のために「休息命令」を宣告し、書き記しておられるのは、深いご配慮と、主の智恵とによるものだったのです。





 いろんなことで、最近疲れてヘトヘトだという人はおられませんか?イエスさまは、明日のことは思い煩うなとおっしゃいました。集中してとりくまなければならないことは、一日、一日、それぞれの日に十分あるというのです。ものごとの優先順位を正しくつけ、集中して物事に取り組みなさい。また、それ以外のことにも余裕をもって対処しうるために、休むことが必要だというのです。特に精神的に、魂に安らぎを必要としておられる方がいたら、ぜひ、このイエスさまの招きの言葉に耳を傾けてみてください。



「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」マタイ11:28





アクション・ポイント(生活への適用)



1.主イエス様にある安息の招きをあなたはもうすでに受け入れられましたか?「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」マタイ11:28



2.日曜日の過ごし方について、創造主を礼拝するという観点から、安息日(土曜日)に主を礼拝した旧約聖書の民に学ぶことがあるでしょうか。



3.私たちは、一週間の内、効率よく休みをとっているでしょうか。休みを取ることはなぜ大切なことだと思いますか?



4.休みをとらず、無理をして働くことは、長い目で見ると結果的にはどうでしょうか。弊害として、どのようなことがあるでしょう?他の人と語り合ってみましょう。







スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。