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行いの伴わない信仰は、死んだ信仰であるとは? (6)

? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? 池田 豊



 創造主は、私たちに永遠の命の救いを無償のプレゼントとして差し出しておられるというのが聖書の主張です。それに反し、世界中のほとんどの宗教は、人間の側でいくぶんかの負担をしなければならないのだと教えます。創造主のほうで全て、100%の代価を支払い済みにしてくださったからこそ、ただで私たちに提供されているのです。それは、プレゼントですから、私たちが自分の良い行いという代価と引き換えに受け取るということはできないのです。



 クリスマスの日に父親が息子にクリスマスプレゼントを差し出しているところを想像してみて下さい。その時、子供が財布からジャラジャラ小銭をかき集め、そのお金と引き換えにプレゼントを受け取ろうとしている場面が展開していたらどうでしょうか。父親はどんな気持ちがすると思いますか。きっとみずくさい、打算的なしらじらしさを子供との間に感じるのではないでしょうか。父と子というより、他人行儀な距離感を感じさせますね。



 「このお金、どうしても受け取って!」などと息子が言い張っていたらどうでしょう。なんだか、しらけてしまいプレゼントをあげようという気さえ父親は無くしてしまうかもしれません。創造主に対して、実は、私たちも似たようなことをしがちではないでしょうか。「自分に対する自信や誇り、高ぶりのゆえに、素直に創造主から提供されている無償のプレゼントをまだ受け取っていない。」というようなお方はおられないでしょうか。もしおられましたら、今、そのプライドを捨て、このプレゼントをお受け取りになられますようお勧めいたします。







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