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行いの伴わない信仰は、死んだ信仰であるとは? (5)

? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?池田 豊
 「ワン、ワン!」と吠えていようが、黙っていようが犬はすでに犬です。「ワン、ワン!」と吠えることは、私にもできますが、それで、私が犬になったというわけでは決してありません。クリスチャンも同じように、良い行いが現れていようが、まだ現れていまいが、クリスチャンであることに違いはありません。すべての人は、どんな人であろうと、イエス・キリストを救い主として信じるだけで間違いなく神の子とされ救われるのです。そして既にこの救いを受けた者たちは、救われた結果、あるいは救いに入れられた目的として、神の栄光を現すため、良い行いに励むのです。自らの良い行いと引き換えにクリスチャンの身分を買い取ったり、保証してもらったりすることは決してできないということを聖書は強調しています。
 「しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現れたとき、神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救って下さいました。」 テトス3章4?5節
 「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。誰も誇ることのないためです。私たちは、神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちがよい行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えて下さったのです。」 エペソ2章8?10節



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