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行いの伴わない信仰は、死んだ信仰であるとは? (3)

                           牧師 池田 豊
 ヤコブが手紙を書いた目的について考えることは、2章を正しく解釈するために大変重要です。ヤコブは、本物のクリスチャン発見用、「リトマス試験紙」のようなものを教会に与えようとしてこれらの言葉を筆記したのでしょうか。それとも、もっと他の意図があって、ヤコブはこの手紙を書いたのでしょうか。
 先ず、次の文章について少しお考えになってみて下さい。
 「信仰のみが、救いをもたらすのです。しかし、救いをもたらす信仰は、それだけで終わるのではないのです。」
 表現を変えれば、救いをもたらす信仰には、行いが結果としてついてくるものなのですが、行いは、結果であって、決して行いを救いの原因や根拠と同じようにみなし、混同してはならないのです。
 よく信仰は「根」で、行いは「実」であるというような表現が用いられますが、私たちは、「実」を「根」の一部だというような愚かな発言をするべきではありません。「実」をまだ実らせていない植物があったとしても、そのことを根拠に「根」までないのだと決めつけるのは、はなはだ暴論に近いといってよいでしょう。



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