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あらゆる恵みに満ちた神

あらゆる恵みに満ちた神                                      リチャード・シーモア博士



原始的な宗教であるかないか、あるいは形式的であるかどうかを問わず、全ての宗教に共通して見られる一つのことは、永遠の命を得、神に受け入れてもらうためには、人間の側でのなんらかの貢献が必要だと考えることです。別の表現で言えば、善行です。人間自ら犠牲を払って、神のご機嫌を取らなければならないと言うのです。そのため、宗教的に熱心と見受けられる人ですら、自分が永遠の祝福に入れるかどうかについては自信がないのです。「あなたは自分が天国に入るという確信をお持ちですか?」と尋ねるなら、ほとんどの人は、以下のような答えをします。「そうだといいですね。」「行けるといいなと思います。」「確信はありません。」「行けるかも知れません。」「良い行いが十分あればね。」「神様にしか分かりませんよ。」「そのときになってみなきゃね。」これらは、神に受け入れていただくための条件として、聖書が語っていることとは、なんとかけはなれ、違った意見でしょう。私たちが神に受け入れていただくための条件は、実は、たった一つです。それは、創造主の比類なき、すばらしい御恵みです。ギリシャ語ではカリスという言葉が、恵みと翻訳されています。その意味は、「受ける資格が全くない者に注がれる親切な好意、人間の貢献とは一切関係なく、創造主の側から一方的に与えていただくことのできるご好意」という意味です。ある人はこう言いました。「神の愛が行動となってあらわれたもの」このカリスという語が名詞の形をとった語は、カリスマです。恵み深いプレゼント、与えれる特権という意味です。
これから新約聖書をご一緒に見てまいりましょう。創造主の御恵みがいかに素晴らしく、また、その御恵みなしでは、私たちには希望がないということをどうぞ、ご自分の目でご確認下さい。私たちが救われるのは創造主の御恵みによる聖書によれば、私たちが救われるのは、神の恵みによります。


あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。 エペソ2:8-9


神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられたものであって、 2テモテ1:9 


もし恵みによるのであれば、もはや行ないによるのではありません。もしそうでなかったら、恵みが恵みでなくなります。 ローマ11:6


一貫してこの恵みという主題が取り扱われていることにご注目下さい。そうです。私たちの救いは、神の御恵みのみによるのです。人間の努力や、善行によるものでは決してありません。神がお与え下さるプレゼントなのです。キリストを信じる信仰を通し、お受け取りするのです。


ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。 ローマ3:24 


価なしにと訳された部分は、「支払うべき代価を要求されない」という意味です。ですから、私たち人間の側で神の御前に立つために、支払わなければならない代価は、全部、キリストが代わりに支払ってくださったので、私たちは支払わなくともよくなったというのです。御子イエスキリストが、死をもって償ってくださったのです。
それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。 テトス3:7

恵みによって、キリストの内に入れられ、神に受け入れていただくことができるそれは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。 エペソ1:6キリストの内に入れられることのみによって、神に受け入れていただくことができるのです。教会員であるとか、バプテスマという儀式を受けた、献金を献げたということなどによってではありません。イエス・キリストに信仰を置くことのみによって私たちは、父なる神に完全に受け入れていただくことができるのです。


恵みによって訓練されるというのは、すべての人を救う神の恵みが現われ、私たちに、不敬虔とこの世の欲とを捨て、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むようにと教えさとしたからです。 テトス2:11-13 


恵みのもとに生きるという生活こそが、私たちに、敬虔で正しい落ち着いた生活をもたらすのです。これは、人間によって定められたルールや規則を守ろうと、もがく生き方がもたらすものとは正反対です。


律法のもとにではなく、恵みのもとにあるというのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。 ローマ6:14


恵みを基盤とした生き方こそが、罪に勝利する秘訣です。律法を守ろうとすることによるのではありません。律法のもとに生きる生き方は、私たちに罪の自覚をもたらすだけで、決して律法を克服する勝利の力をもたらしてはくれません。
与えられた恵みによって、私たちはキリストに仕える者としてふさわしい生き方ができるしかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。 エペソ4:7 しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」 ヤコブ4:6


しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。 2コリント12:9


私たちが困難に直面し、あがき苦しみどうしようもない時、私たちが困難を経験する中でも霊的に強められ前進していくことができるよう、神の恵みが示されます。そして私たちを助け、救い出して下さり、力づけてくださるのです。
恵みのもとに成長する愛する人たち。そういうわけですから、このことをあらかじめ知っておいて、よく気をつけ、無節操な者たちの迷いに誘い込まれて自分自身の堅実さを失うことにならないようにしなさい。私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。 2ペテロ3:17,18


ここで語られていることは、神の恵みのもとで成長することを止めてはならないということです。成長が止まると、私たちの霊性はよどんでしまいます。そうするとこの罪に汚れた世で、あなたはキリストのために役立つ者として影響力を発揮することができなくなります。


恵みによって強められなさいそこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。  2テモテ2:1律法主義的な強迫観念に突き動かされたり、人の意見、古くからの人間の言い伝えに熱心になるということで強められるのではありません。そうではなく、神の恵みによって強められることを聖書は教えています。さまざまの異なった教えによって迷わされてはなりません。食物によってではなく、恵みによって心を強めるのは良いことです。食物に気を取られた者は益を得ませんでした。 ヘブル13:9


奇妙な新しい教えや、惑わしから私たちが守られるのは、神の恵みに私たちの信仰の根をしっかりと下ろすことによります。恵みが私たちを保護してくれるのです。


エペソの長老たちを前にして、パウロは決別の辞をこう語りました。


いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。 使徒20:32


けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。 使徒20:24


あなたも私も同じことです。神の恵みの福音をあかしする任務が与えられています。それを果たし終えることができたらこれに勝る喜びはありません。パウロは、自らのゴールと生きる目的が、この神の恵みをあかしすることであり、それを邪魔するものが何もあってはならないと言っています。あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。 コロサイ4:6


神の恵みの御座に大胆に近づく私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。 ヘブル 4:15,16


神の子とされた私たちにとって、神の御座は、裁きの座ではなく、恵みの座です。必要な時に神の恵みが与えられます。なんとすばらしい天の父を私たちは与えられているのでしょう。


すべての恵みに満ちたお方主は「すべての恵みに満ちた神」として紹介されています。単に恵みに満ちた神というのではなく、全ての恵み、あらゆる恵みに満ちたお方です。あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。 1ペテロ5:10


パウロは、アダムによって罪がもたらされ、モーセによって律法が与えられることで罪の意識があきらかとされたことと、キリストと対比し、う言っています。律法がはいって来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。 ローマ5:20


私たちの創造主は、あらゆる恵みに満ちたお方なのです。このお方を信頼し、前進していきましょう。
                                                       Richard A Seymour Clarity Trumpet #62



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