FC2ブログ

行いの伴わない信仰は、死んだ信仰であるとは?(31)

 アブラハムと並んでヤコブが行いに表れた信仰の実例として用いているのはラハブという女性です。不思議なことにこのラハブについての記述を見てみますと、ヤコブがここで言わんとしている行いを伴った信仰というのが必ずしも道徳的な善行や、熱心な宗教活動、倫理的な悪習慣の変革を意味しているのではないことがわかります。



 ところが、良い行いや自分の努力による生活変革を救いの条件にしようとするニセ教師たちが好んでヤコブの手紙、特に二章を引き合いに出して論ずる場合は、行いの伴った信仰とは倫理的な生活変革であったり、熱心な宗教活動のことだというのです。



 ラハブという女性は、遊女でした。ヨシュア記を読んでみますとラハブの信仰が行いに表れたというのは何を実際に意味していたのかといいますと、ラハブが売春行為から足をあらったとか倫理的、道徳的悪習慣や罪を悔い改めてに聖い人になったとかいう理由からではありませんでした。ヨシュア記の記録に残っている彼女の行いに表れた信仰とは何かといいますと、

?イスラエルの主、ヤーウェが遣わされた使者を受け入れかくまったということ、そして、

?使者が指示したとおり、救いの印である赤いヒモを窓に結んだというこのことだけでした。



 彼女は自分の自己変革や宗教活動を通してなす、良い行いを根拠として命を守ってもらったというのではなかったのです。イスラエルの主の恵みのお約束の故に、使者を受け入れかくまったということだけで救いの保証を頂いたのです。ただ、その印としての血の色をした赤いヒモを窓に結びぶら下げたのです。これがラハブの行いに表された信仰でした。聖書のどこにもラハブが遊女をやめ、道徳的に立派な人になったので、殺されずにすんだとは書かれていないのです。



スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

非公開コメント