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行いの伴わない信仰は、死んだ信仰であるとは? (24)

 「行いを伴わない信仰は、死んだも同然だ」という表現は、魂を失った人間の身体や、自動車を発進させることができなくなったバッテリーに例えることができることを前回学びました。このことは、ペットとして飼っている番犬について考えてみると、ヤコブの言わんとしたことをより一層理解する助けとなります。



 番犬として飼っている犬は、日本では、よく吠えるのが常識です。オバケのQ太郎ならずとも、犬に吠えられ、犬が嫌いになったという人もおられるでしょう。郵便屋さん、新聞屋さんだけでなく、私たちが発行している阿武山ニュースのようなお知らせや、回覧板などを近隣にお届けする時に、吠える犬がいると困ることがよくあります。しかし、犬を飼っていらっしゃる方々にとってみれば、飼い主である家族以外の見知らぬ人間が近づいてきた時に、警告を発してくれる番犬は、「セコムしてますか?」と同じように、役に立つ防犯設備だと言ってよいでしょう。



 ところが、不審な犯罪者が自宅に侵入しようとしている時、本来ならワンワン吠えて危険を知らせるべき番犬が、眠りこけて、ウンともスンとも言わなかったらどうでしょう。そのような番犬は、死んだも同然で、何に役にも立たない番犬だということにならないでしょうか。



 そうです。ヤコブが言いたかったのもそのような意味で「死んだ信仰」と言ったのです。
 だからといって吠えなかった番犬が、亀になったり、カタツムリになったりしたというわけではありません。ましてや、最初から犬ではなかったなどということを意味するわけでもありません。



 良い行いによって神の「恵み深さ、憐れみ深さ、気前よさ」を現すことをしなかったクリスチャンがいたとした場合、彼らも同じです。最初から救われていなかったとか、本物のクリスチャンではなかったとかいうことではありません。そんなことを言いたいが為に「死んだ信仰」という表現をヤコブは、用いたのではありません。

居眠りをしていたために、吠えることをしなかった番犬は、どうしたらいいのですか?自分が果たして本物の犬なのか、自己反省すべきなのですか?はてまた自分がひょっとして豚なのだろうかと悩やみ、苦悩すべきなのでしょうか?

とんでもない!

この次、しっかり役目を果たすため、吠えたら良いのです。

クリスチャンも同じです。



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