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行いの伴わない信仰は、死んだ信仰であるとは? (22)

 死んだ信仰とヤコブが言ったとき、その意味するところは、2:20で「ああ、愚かな人よ。あなたは行いのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。」と表現しているように、実際に困窮している人々にとっては、役に立たない、むなしい、あるいはその存在価値が無いに等しいということなのです。2:26では「魂を離れた身体が死んだものであると同様だ」と死者が何の活動もしないということに対比して例えています。これは、魂が取り去られた死体が本来存在しなかったとか、人間ではなかったということを意味してはいません。人間モドキであるとか、ニセの人間だということも意味しません。このたとえでヤコブが言おうとしていることは、死んだ人は、「動かない、役に立たない」ということなのです。創造主の恵みを受けたはずのクリスチャンたちが、その恵みを行いにおいて表現せず、相手の能力や見栄え、資質などに応じたえこひいきをしてしまっていたら、創造主の恵みや憐れみを現すと言うことにおいては全く役に立たない、むなしいではないか、と言うのです。



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