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行いの伴わない信仰は、死んだ信仰であるとは? (21)

 ヤコブ書を正しく理解するためにもう一つ、忘れてはならない大切なことがあります。それは、「行いの伴わない信仰は、死んだものである」とヤコブが言うときの「死んだもの」とはいったい何を意味しているのかということです。行いに表れない信仰、すなわち、クリスチャンらしい良い行いがあまり見られない信者は、偽ものであり、本当のクリスチャンではないという説教がここから語られる教会もあります。「そのようなクリスチャンは、『もぐり』だ。クリスチャン・モドキだ。」とさえ表現し、軽蔑を込めて語られた説教を筆者は、聞いたことがあります。もしそれが本当だとしたら、確実に天国に入れていただく保証をもらえるような正真正銘のクリスチャンとは、どのような良い行いをどれほど積み上げた人だというのでしょう。クリスチャンどうし、「良い行いコンテスト」をして、平均点以上を目指すようにとヤコブは、勧めたかったのでしょうか?

 そのような解釈がなぜおこってくるかというと、「死んだ信仰の人」という概念を、信仰を持っていない、見せかけだけの人と決めつけようとするからです。しかし、それは、ヤコブが言いたかったこととは、あまりにかけ離れた解釈だと筆者は思います。そんなことを言ったらヤコブさんがおこってしまわれますよ。



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