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行いの伴わない信仰は、死んだ信仰であるとは? (14)

? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? 牧師 池田 豊

 ヤコブが語っている「行いに現れる信仰」と言ったときの「行い」とはいったい何を意味していたのか今週も引き続き文脈に即して見てまいりましょう。

5. 自分は、宗教に熱心であると思っている人がいても、自分の発言に偽りと、欺まんがあり、不正直であるならば、そのような宗教には、価値がない。(2:26)

 具体的な例をあげれば、偽の終末予言を発表し、追従する信徒たちが大学に進学したり、結婚することをあきらめさせたりしているエホバの証人・ものみの塔のようなカルト宗教団体などがそうです。彼らは、非倫理的な方法で、他の著者の文献を、そのオリジナルの文脈を完全に無視した形で引用します。つまり、自分たちものみの塔に都合の良い形でのみ引用し、著者が本来意味していたこととは、全く正反対の立場を指示しているかのような印象を読者に与えようとしています。これは、はっきりいって詐欺まがいの行為です。このようないいかげんな印刷物をエホバの証人の人々は、半強制的に近隣の家々に配布する宗教活動を強要させられているのです。彼らの宗教活動を構成しているのは、ほとんどがものみの塔が流す偽預言と聖書とは何の関係もない奇妙な戒律、そして著名な学者の文献を詐欺まがいの方法で引用する誤った教理のプロパガンダ活動に終始しています。ヤコブの手紙の基準からしてみると、そのような宗教は、どれほど熱心であったとしても真の宗教とは言えないのです。

? 自分は宗教に熱心であると思っても、自分の舌にくつわをかけず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教は、むなしいものです。(1:16)



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