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行いの伴わない信仰は、死んだ信仰であるとは? (12)

? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?牧師 池田 豊

 ヤコブは、この手紙をどのような人々に対して、書き送ったのかといえば、先ず、未信者の人たちに宛てて書いた手紙ではないことは、明確です。「私の兄弟たち」、「愛する兄弟たち」というような呼び方で、受取手を呼んでいるからです。そして、次に、この手紙は、同じクリスチャンでも、キリスト教の布教活動を熱心にしていない人々を非難することを目的に書いた手紙でもありません。

 このヤコブの手紙を根拠に、多くの異端グループは、行いが伴っていない信仰という表現を用いて人々を非難する場合が、しばしばあります。そのようなグループの一つ、たとえば、エホバの証人などは、家々を熱心に訪問して布教活動を実践しているのは、彼らだけだから、他の福音的な教会などは、行いの伴わない信仰だといいます。そしてその理由から、福音的な教会が本当の教会ではないというような主張をします。そしてエホバの証人の研修生たちに「偽り」の優越感を植え付けるのです。また、異端の多くは、自分たちの組織が強調している、特殊な取り決め、独自の戒律、ライフスタイルなどに対して熱心に従っていない信徒たちは、皆、偽クリスチャンだと決めつけます。また、集会や礼拝をさぼりがちな自称クリスチャンたち、献金を忠実にしていない信徒たちを、行いを伴わない信仰をもった人々だと決めつける際の根拠として、彼らはこのヤコブの2章を持ち出すのです。

 しかしヤコブの2章で非難されている人々は、そのような問題のことで非難されているのでしょうか。実際、彼らはどのような問題を抱えていたのでしょうか。ヤコブが「行いに現れる信仰」といった時の「行い」とは、いったい何を意味していたのでしょうか。



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