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行いの伴わない信仰は、死んだ信仰であるとは? (10)

 ヤコブの手紙の特に二章が、クリスチャンたちの信仰自己判断を下すための目的で書かれた文章なのかどうか考察されるように、これまでお勧めしてまいりました。自分が本物のクリスチャンなのかどうか、自分の善行をチェックし、自己診断を下すのに役立つ「本物のクリスチャン発見用、リトマス試験紙」を与える目的でヤコブは、この手紙を書いたのでしょうか。

 神の「恵み」という救いの根拠、土台と、人間の側でのその恵みを受け取る手段としての「信仰」を混同してはいけません。そして、救われた後の、結果としての「良い行い」を前述した二者とを混同してもなりません。このことを注意深く意識しながら、ヤコブの手紙を読んでみますと、この書は、決して、「本物のクリスチャン発見用、リトマス試験紙」のようなものを与える目的で書かれた書物ではないことが、明確にわかってきます。

 このヤコブ書に関する、良く陥りやすい混乱に巻き込まれないよう聖書を正しく理解するには、どうしたら良いのでしょう。次回より、そのような視点から引き続き学んでまいりましょう。



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