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腹の立つとき

腹の立つとき(1)
石川啄木の歌のいくつかには、さまざまなことに腹を立てた、多感な青年の正直な思いが綴られています。



いらだてる心よ汝はかなしかり
いざいざ
すこしあくびなどせむ     



へつらひを聞けば
腹立つわがこころ
あまりに我を知るがかなしき



私たちは、いろいろなことが原因で腹を立てます。人からお世辞のようなほめ言葉を語られた時は、一瞬嬉しい気持ちもしますが、よく考えてみると、その人の裏が見えたりして腹立たしくなることもあります。自分のことは自分がよく知っている。そう考えてみると他人のほめ言葉はあてはまらない。そこを見抜いているくせに他人は、おべっかを使う。何か魂胆があるな。それにしても自分のふがいなさにも腹が立ちます。イライラします。すこしアクビをするぐらいの余裕があってもよいではないか。そう啄木は詠うのです。



怒りは、とんでもない結末にいたる危険性を秘めています。競売にかけた自宅が売れ、いざ強制的に立ち退きを命じられた時、日本刀で斬りつけた新潟県新井市の社長さんのことが報道されていました。



怒りについての聖書のことば
怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。エペソ4:26-27



腹の立つとき(2)
石川啄木の歌のいくつかには、さまざまなことに腹を立てた、多感な青年の正直な思いが綴られています。



目の前の菓子皿などを
かりかりと噛みてみたくなりぬ
もどかしきかな



どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかな



自分の思い通りにものごとが運ばない状況の中、怒りと焦燥で菓子皿にさえ噛みつきたくなる心境。わかるような気もします。混沌としたそのやるせない心は、すっきりしない、曇り空にも似た歯切れの悪さです。しかし、だからといって、お皿を噛むだけでは修まらずに、怒りが憎しみへと発展し、人を殺したくなるとは尋常ではありません。しかし、イエス・キリストの十字架を心に受け入れた人は、そのような怒りに心を支配されずともよいのです。新しい人に造り変えられたのだからです。



ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。このようなことのために、神の怒りが下るのです。あなたがたも、以前、そのようなものの中に生きていたときは、そのような歩み方をしていました。しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。コロサイ3:5-8



腹の立つとき(3)
石川啄木の歌のいくつかには、さまざまなことに腹を立てた、多感な青年の正直な思いが綴られています。



あらそひて
いたく憎みて別れたる
友をなつかしく思ふ日も来ぬ



敵として憎みし友と
やや長く手をば握りき
わかれといふに



憎み、争った友も、時がたてば懐かしい思い出に変わることもあります。自分に害を与えた奴は赦せない。復讐だ!と個人的な怒りをおぼえるのは当然のような気がします。しかし、創造主の怒りにゆだねる道があることを聖書は教えています。時が過ぎ、主がお働きくださったことを見る時、私たちは、個人的な恨みから報復をしなかったことを喜ぶ、そのような日がきっと来るに違いありません。



愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。ローマ12:19-21



腹の立つとき(4)
石川啄木の歌のいくつかには、さまざまなことに腹を立てた、多感な青年の正直な思いが綴られています。



よく叱る師ありき
髯の似たるより山羊と名づけて
口真似もしき



よく怒る人にてありしわが父の
日ごろ怒らず
怒れと思ふ



昔は、学校の先生はよく怒りを爆発させたものです。私が小学校のときの先生は、怒ってチョークをピッと投げたものです。中学校の時のW先生は、金槌の柄の部分で頭をコキーンと殴ったものです。恐ろしかった。地震・雷・火事・親父というように父親も怒りっぽい短気な人が多かったようです。でも怒りは、自分でコントロールできなくなるとたいへんな結果をもたらすことがあります。聖書でも警告されています。



乳をかき回すと凝乳ができる。鼻をねじると血が出る。怒りをかき回すと争いが起こる。箴言30:33
愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。人の怒りは、神の義を実現するものではありません。ヤコブ1:19-20



腹の立つとき(5)
石川啄木の歌のいくつかには、さまざまなことに腹を立てた、多感な青年の正直な思いが綴られています。



友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ



やまひある獣のごとき
わがこころ
ふるさとのこと聞けばおとなし



友人のことを伝え聞くたびに、自己憐憫におちいります。自分のふがいなさに怒りがたまります。そんな啄木の心を癒したのは、美しい花であり、柔らかなことばを語る妻の存在でした。激しい言葉は傷ついた心には耐え難い苦痛です。でも懐かしさに満ちたふるさとのことや、訛り言葉を聞くと不思議とのんびり、のどかな、広い心になるから不思議です。病んでいる獣のように「荒れ果てたこころ」さえやんわりとつつみこみ、やすらぎをあたえてくれます。そんな啄木の心境をもズバリ言い表している聖書の御言葉があります。



柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす。箴言15:1
激しやすい者は争いを引き起こし、怒りをおそくする者はいさかいを静める。箴言15:18



腹の立つとき(6)
石川啄木の歌のいくつかには、さまざまなことに腹を立てた、多感な青年の正直な思いが綴られています。



酒のめば
刀をぬきて妻を逐ふ教師もありき
村を逐はれき



死にしかとこのごろ聞きぬ                                 
恋がたき
才あまりある男なりしが



人々から尊敬され、以前は聖職とも呼ばれた学校の教師。その教師の中にも自らの心を治めることが容易にできず、怒りを爆発させる人がおります。特に酒に酔い、理性を失い家族に暴力をふるう教師さえいます。最近は、異性に対して自らの心を律することができず、女生徒を無理矢理車に乗せ、逃げだそうとしたその女の子が車から落ち、後続の車にひかれ死亡した事件がありました。怒りや、異性に対する恋情など、自分の心を治めるのは至難の業です。恋がたきへの復讐心をいだいたとしても啄木のように、いざその相手が死んだと聞かされると、憎しみの心は変化し、彼の才能が開花する前に散ってしまったことを惜しむようにさえなることがあるのです。



怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。 箴言16:32
私たちは、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする。」、また、「主がその民をさばかれる。」と言われる方を知っています。 ヘブル10:30



腹の立つとき(7)
石川啄木の歌のいくつかには、さまざまなことに腹を立てた、多感な青年の正直な思いが綴られています。



ゆゑもなく憎みし友と
いつしかに親しくなりて
秋の暮れゆく



猫を飼はば、
その猫がまた争ひの種となるらむ、
かなしき我が家



友と仲が良くなくなる。何らかの原因で不平不満が募ったり、怒りが生じて互いに距離を置くようになるものです。しかし、時がたつと「なんと些細なことから互いを避けているのか」と思うような時がくることも多いようです。怒りを感じた時にすぐにもそれを表現することは、人間関係を悪化させます。誤解が誤解を呼びやすくなるものです。
たわいものないことが、互いの怒りを引き起こし、人間関係に不信感を募らせることが多々あります。その一例としてペットの猫や犬などの動物を飼うことをあげることができると思います。本来、家庭を和やかな雰囲気にするに一役買ってくれそうなペット動物のはずですが、現実には、飼われている猫にとってはニャンとも迷惑なチャンチャンバラバラの原因となることがあるようです。知恵に立ち返り、怒りを捨てることによって、悪の道に一歩足を踏み入れようとしていた歩みを踏みとどまらせることができます。



愚か者は自分の怒りをすぐ現わす。利口な者ははずかしめを受けても黙っている。箴言12:16
知恵のある者は用心深くて悪を避け、愚かな者は怒りやすくて自信が強い。短気な者は愚かなことをする。悪をたくらむ者は憎まれる。箴言14:16-17
怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。詩篇37:8



腹の立つとき(8)
石川啄木の歌のいくつかには、さまざまなことに腹を立てた、多感な青年の正直な思いが綴られています。



神様と議論して泣きし・・・
あの夢よ!
四日ばかりも前の朝なりし



はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る



今の現状に満足できず、過去を懐古する。昔の方が今よりはるかに良かったそんな気がする。働いても働いても、いっこうに生活が楽にならない。いやもっともっと悪くなっていくような不安が心をよぎる・・・。
バブルがはじけた。構造改革だ。金融機関の・・・いや、郵政三事業の・・・、消費税が・・・、そんなことを言っている内にアメリカで衝撃的なテロ事件の発生・・・
世界的規模の大きな問題に目を奪われ、自分個人の生活の身近な現実にもやはり苦しみや、いらだち、絶望感の背景に個人的な怒りがもたらす危険性があることを見失うようなことがあってはならないと思います。
自分の今の苦しみは、誰のせいだ?あいつじゃないか。こいつが悪いんだ。そう考え、つきつめていくと、「そうだ、神が悪いんだ。こんな世界を造った神が悪いんだ。」そう議論したくなるのは啄木だけではないでしょう。しかし、そのような他者を責める不遜な態度こそが、最初に罪を犯したアダムとイブが呈した罪人の典型的ふるまいであることを私たちは忘れてはなりません。



軽々しく心をいらだててはならない。いらだちは愚かな者の胸にとどまるから。「どうして、昔のほうが今より良かったのか。」と言ってはならない。このような問いは、知恵によるのではない。 伝道者の書7:9-10



腹の立つとき(9)
石川啄木の歌のいくつかには、さまざまなことに腹を立てた、多感な青年の正直な思いが綴られています。



一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと



わが髭(ひげ)の
下向く癖がいきどほろし
このごろ憎き男に似たれば



啄木は、感想「病室より」という作品の中で、以下のような「破壊!」という文章を載せています。
破壊! 自分の周囲のいっさいの因襲と習慣との破壊! 私がこれを企ててからもう何年になるだろう。全く何もかも破壊して、自分自身の新しい生活を始めよう!この決心を私はもう何度繰り返しただらうか。しかしもがけばもがくほど、あがけばあがくほど、私の足は次第々々に深く泥の中に入ったのだった。・・・
自分を見下げる奴らがいる。赦せない。ふと鏡を見つめそこにある自分の顔。そのあご髭が気になる。何もかもいやだ!いやだ!神に祈る祈りさえ呪いのような祈りになる。
私たちにもそのような気持ちになる時があるでしょうか?そんなとき、聖書の言葉が私たちの行動にブレーキをかけてくれます。



人に思慮があれば、怒りをおそくする。その人の光栄は、そむきを赦すことである。箴言19:11
怒る者は争いを引き起こし、憤る者は多くのそむきの罪を犯す。箴言29:22



腹の立つとき(10)
石川啄木の歌のいくつかには、さまざまなことに腹を立てた、多感な青年の正直な思いが綴られています。



茶まで断ちて、
わが平復を祈りたまふ
母の今日また何か怒れる



薬のむことを忘れて、
ひさしぶりに、
母に叱られしをうれしと思へる



母親は、皆、子どもの無事を常に祈り、願っています。あるときは、好きな食べ物や、飲み物をがまんしてまで、願かけをしてくれる母。それほどまでに真剣に子どものことを心配してくれるのが啄木の母だったようです。でもそんな優しい母が、今日も声を荒げて怒っている。「うるさいな?。」やさしい母には、似合わないヒステリックな怒鳴り声。矛盾を感じます。うとおしく思える母の忠告や、小言。
ところが、その母が怒らなくなった。そんなある日、ほんとうに久しぶりに母に叱られた。「またお薬飲むの忘れちゃったの?だめね?。」と母に注意される。これは、正直、ありがたいことですね。
母親は、こどものことが気がかりでならないものです。子どもが何歳になっても、母親にとってはかわいい我が子、つい注意したくなります。啄木も久しぶりの母の小言が妙に嬉しかったようです。
ところが父親が子どもをしかりつけたりする時、一方的に決めつけるように叱る場合があります。そんな時、子どもの方は素直に聞くことができません。むしろ反発し、子どもの方が怒り心頭、爆発します。その結果、そのような子どもは、劣等感を抱きやすく、自分に自信がもてない子どもになりやすいのです。親が子どもを叱る時、とても知恵が必要です。啄木のように「うれしと思へる」と子どもが心底言ってくれるような叱り方ができたなら幸いです。



父たちよ。子どもをおこらせてはいけません。彼らを気落ちさせないためです。コロサイ3:21



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