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「武士道」という本の背景

? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? 池田 豊

 セオドア・ルーズベルト大統領を感激させた本があります。しかも日本人が英語で書いた本です。  1900年(明治33年)頃、日本は政治・経済・文化各方面において大混乱の真っ最中で、貧富の差、社会制度の矛盾からも、官能、無軌道は野放図とされ道徳的乱れが蔓延していました。特に政界における腐敗は目を覆うものがありました。ちいさな子どもまで無差別にいのちをねらわれる、不気味な平成の現在に似たものを感じるのは私だけでしょうか。

 明治初年より藩閥政府が政治の主導権を握ったため、藩閥政府に反対する人々は「政党政治」を主張しますが、山県有朋らは「政党政治は憲法の精神に反する」といい、政治に利害が露骨にからむようになりました。官庁へ仲介の労をとるという名目で、政治家が賄賂を平気で受け取り、公共事業の斡旋をするものたちが激増しました。その代表的人物が星亨(ほしとおる)です。そして星の汚職を激しく告発糾弾したのが、「隈板内閣」文部大臣の尾崎行雄でした。尾崎は全国から小学校教員を集めた夏期講習会でこう演説しています。

●昨今、この日本では、金の力で左右されている者が多すぎる
●この現象をアメリカの拝金主義の影響だというものがいるが、アメリカでは金の力によって大統領になった者はひとりもいない
●ところがこの日本で、もしアメリカ式の共和国政治体制をとったならば、必ずや大財閥から大統領が生まれることだろう

 しかし山県有朋が次の内閣を組閣し、国家公務員をすべて天皇に直轄するものとしたため、国家公務員が「自分は天皇陛下の官吏である」とエリート意識をいだくようになりました。内村鑑三は、この時、日本の腐敗状況を嘆いて、「日本は社会的にすでに死んだ」と語ったのでした。

 明治22年(1889)に大日本帝国憲法が発布され、クリスチャンであった初代文部大臣森有礼が暗殺されました。翌年、元田永孚(ながざね)、井上毅(こわし)らは、他の国務大臣の承認もとりつけず、文部省を通すことすらなく、自分たちで勝手に原案を作成した「教育勅語」を交付します。その7年後、井上哲治郎、高山林次郎(樗牛)らは、「国家はわれわれの生活における道徳の標準である。いっさいの宗教を排斥せよ。」と主張し、神道の氏子制度と教育勅語を徹底化し、キリスト教を排斥しました。

? このような時代背景のもと、明治34年、クリスチャンである新渡戸稲造が英語で書き記した「武士道」がアメリカで出版されたのでした。

 ところで、伊藤博文は日露戦争(1904-5)で日本は戦果をあげているこの時期に早期講和を結ぶべきだと考えていました。仲介国としてアメリカが最もふさわしいのですが、当時、アメリカは、ルーズベルト大統領が「絶対中立、戦争不介入」をモットーとしており無理に思われます。そこで伊藤は、一か八かの賭とハーバード大学でルーズベルトと同窓生であった金子堅太郎を全権大使としてアメリカに送ったのでした。この金子堅太郎が大統領への贈呈品として献上したのが、「武士道」でした。「武士道」を読んだルーズベルトは大いに感動し、数日後、金子に直接、呼び出しがかかりました。
「私が日露講和の仲介の労を執る。動機はこの本だ」とルーズベルトは「武士道」を指して協力を約束したのでした。

 大正時代になって後藤新平がアメリカに渡った時のことです。後藤新平が発明王エジソンに会った時、エジソンは、後藤に新渡戸稲造の「武士道」を示して、「この本に書いてあるような立派な日本民族が、なぜ中国に対して、領土の一部を日本に与えよと要求するのか?」と日本の中国植民地政策を批判したといいます。

 古代中国には、シルクロードを経て、旧約聖書の倫理道徳が伝わっておりました。紀元前五世紀、孔子の儒教や、老子の教えたとされる道教が花開きましたが、実はそれよりもっと過去にさかのぼる、紀元前千五百年から二千年前の中国の思想的、宗教的環境と景色がどうだったのかは、注目に値します。

 旧約聖書に登場するソロモン王(B.C.961?B.C.922年在位)は、箴言という知恵の書、道徳の書を書き記しましたが、ソロモンは、孔子よりも400年以上も前に実在した人物です。実は、古代中国においては、唯一の創造主が信仰の対象とされており、非常に厳格な道徳律が守られており、古代中国の人々が礼拝と信仰の対象としていた唯一の神は、上帝(シャンティー)と呼ばれていました。

 三皇五帝時代、最後の王、舜皇帝(紀元前2230年頃)についての記述が、孔子編纂による中国の歴史書、「書経」にこう記されています。

「皇帝は、上帝(シャンティー)に生け贄を献げた。」
また、孔子編纂の「中庸」には、
「天上と、地上の献げものは、人が上帝(シャンティー)を礼拝するためのものであった。」

とあります。

 これは旧約聖書の創造主礼拝に一脈通じるものです。中国古来からの倫理、道徳には、孔子よりも400年以上はるか昔から存在していた旧約聖書、ソロモンの知恵が大きく影響していたとは考えられないでしょうか。

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