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明治時代の日本とキリスト教

池田豊




江戸時代には、わが国日本の民は、全員、寺の檀家とされ、無理矢理仏教徒にさせられてしまった。その徳川幕府も終焉を迎え、新しい時代、明治となった。


明治時代、キリスト教の創造主が日本の神々と混同されてしまったことを指摘するため、東京学芸大学名誉教授であり、日本宗教学会理事であられる小池長之氏は、「日本宗教もの知り100」(日本文芸社発行)という著書の二〇六?二〇七頁に興味深いことを記しておられる。その内容を参考に以下、クリスチャンとしての立場から、明治時代の日本の教育と創造論に立脚するキリスト教との関係について考察して見たいと思う。


明治時代には、新しい明治政府というものができた。ヨーロッパやアメリカなどの先進諸国にならい、新しい国づくりが始まったのである。ところが、その明治政府には、二つの相反する思想が存在していた。


一つは、尊皇攘夷を看板とする復古神道派である。彼等は、日本国民を総神道信者にしてしまおうと国民教化を画策したが、当初は失敗に終わり、大数院の解散を余儀なきものとされ、勢力的には後退していた。


*大教院 明治5年に設置された大教宣布と教導職指導のための中央機関。地方には中教院・小数院が設置された。  明治8年神仏教導職の対立で解散。  大辞林より抜粋


いま一つは、文明開花を看板とする進歩派の思想であった。この思想は、多くの現代の日本人にとっては驚きかもしれないが、この思想の拠点は、なんと文部省にあった。わが国に初めて設置された文部省は、明治5年(1872年)学制を制定し、学校教育を中心に理想の現実化を図った。明治政府は、師範学校を開設し、東京師範学校に義務教育用の教科書を編纂させた。その結果、明治6年(1873年)文部省から「小学読本」が発行された。この教科書作成の目的は、日本を先進諸外国並みの一流国とすることにあった。


何と、この日本でできた最初の教科書で教えられた内容は、我々クリスチャンを驚かさずにはおかない。以下のような内容が盛り込まれていた。


 「天津神は、月、日、地球を造り、のち、人、鳥、獣、魚、草木を造りて、人をして諸々の支配をなさしめたり。」


「神は万物を創造し、支配したもう絶対者なり。」


これは、米国のウィルソン・リーダーをそのまま和訳したものだった。日本の神々とキリスト教の創造主を混同するような文章が残されている。又、文部省唱歌には多くの讃美歌の曲が採用された。内閣が組織され初代文部大臣には、クリスチャンの森有礼が任じられた。森有礼は日本をキリスト教国にしたいという理想に燃えていた。


しかし、天皇の側近にいた元田永孚(もとだながざね)らは、宮内庁を動かし、明治15年(1882年)「幼学綱要」を文部省とは無関係に発行した。これは日本中で使用させるための道徳教育用教科書であった。神武天皇、和気清麻呂、菅原道真、楠木正成などの人物が登場し、天皇への忠誠心をすべての日本人の心に植え付けさせることを目的としていた。かたや、文部省側も、編纂委員会を設け、日本にふさわしい理想的な教科書の作成にとりかかった。


ところが、明治22年(1889年)2月11日、大日本帝国憲法が発布された日、文部大臣、森有礼は暗殺され、翌日召天してしまうのである。明治23年(1890年)、機を見たかのように元田や井上毅らは、他の国務大臣の承認もとりつけず、文部省を通すことすらなく、自分たちで勝手に原案を作成した「教育勅語」を交付してしまった。自由民権運動を嫌い、激しく弾圧していた山県有朋は、1889年に第一次山県内閣を組織したが、当時の文部大臣榎本武揚を退任させ、自分の息がかかった芳川顕正にすげかえ文部省を掌握した。この時点で、日本の学校における宗教教育は、天皇を絶対者、支配者として拝む宗教のみのマインドコントロール状態と化して行くのである。


内村鑑三らクリスチャン指導者たちはそれに危機感を覚え、異議を唱えたため、激しく非難され、非国民として攻撃を受けた。一方、キリスト教信仰を持たない進歩派の人々は、なんと天皇の立場がキリスト教の神概念に酷似するということで、日本も欧米のものの考え方に肩をならべることができるようになったとして、無思慮にも納得してしまった。又、東京帝国大学教授の井上哲治郎は「教育と宗教の衝突」という著書を発行し、日本に於いては、キリスト教は教育上害があると主張した。


残念ながら、森有礼が暗殺されてしまってからは、文部省は、一挙に元田永学らの思想にマインドコントロールされた者たちの手に掌握されてしまった。明治32年(1899年)には、国家神道一色となった文部省は、訓令を発し、学校教育における神道以外の宗教教育を全面的に禁止した。そして、日本中にあるすべての学校という学校には、天皇・皇后の写真(ご真影)を飾らせ、それ に向かって礼拝すること(宗教的崇敬)を国民の義務として強要したのである。この偶像礼拝は実に第二次大戦で日本が敗北するまで続いた。


それは、日本人だけでなく、八紘一宇の思想 のもと、日本が植民地化しようとしたアジア諸国の人々に対しても有無を言わさず、暴力的に強要されたのである。


明治の始めに日本の総福音化が文部省の働きからも達成されうる可能性があったと知らされることは、今、日本伝道を考える私たち、平成に生きるクリスチャンに励ましとはならないだろうか。


それにしても、明治時代、聖書の創造主が日本語で「神」と訳されたため、創造主が日本の神々と混同されるようになってしまったのは、残念である。その弊害が、現在もなお新新興宗教カルトのキリスト教的模倣の温床ともなり、日本の福音宣教を妨げる要因の一つともなっている現実は、無視できないように思う。


付記


明治6年に文部省から発行された「小学読本」はあまりに直訳的だったので朝野らの非難を浴び翌7年に改定されたが、現在筆者が図書館で確認できたのは、明治7年8月に改正された講談社刊行、日本教科書大系・近代編第四巻国語(一)田中義廉編のみであった。 以下その抜粋をご紹介する。


 「神は常に、我を守るゆゑに、吾は、濁にて、
暗夜に、歩行するをも、恐る、ことなし○又、
眠りたるときにも、神の、守りあるゆゑに、暗
き所も、恐る、ことなし○神は、暗き所も、明
に、見るものゆゑ、人の知らざる所と、思い
て仮にも、慈しきことを、なせば、忽チ罰を、
蒙ふるなり、○人の、知らざることをも、神
は、能く知るゆゑに、書きものには、幸を、輿
へ、慈しきものには、禍を輿ふるなり、」
(113?114頁)



 「それこの世界は、全く人の住居する為に、神
の造りたるものにて、世界は、即人の住所な
り、既に人の為に、此世界を造り、日あり、月
ありて、物を照らし、また其日を歓ばしむる
には、地上に、芳草を生じ、梢頭に、美花を
開かしむ、」    (139頁)
「これ皆神の賜ものにして、所として、これ有
らざるはなし、凡此地上、及河海の萬物は、禽
獣、晶、魚、山林、草木の花章に至るまで、皆
人を養ふか為に、神の輿へたるものなり、
神、既に此諸物を、人に輿へて、足らざるも
のなからしむ、故に人々慎みて、神の賜もの
を受け、我身の生活を、計るべし、」
(139頁)



「神は、此地球を造り、人民の、生活する為に、
用ゐる物をば、皆此地球上に、生ぜしむれ
ば、」
(144頁)











 









参考文献


坂田青雄著 「天皇親政」 思文閣出版
犬塚孝明著 「森有礼」 吉川弘文館
色川大昔著 「明治精神史」
講談社学術文庫
大塚三七雄著 「明治維新と独逸思想」
長崎出版
久保義三著 「天皇制国家の教育成策」
勁草書
児玉幸多他 「図説日本文化史大系?
明治時代」    小学館
小西長之著 「日本宗教ものしり100」
日本文芸社
下程勇吉編 「日本の近代化と人間形成」
法律文化社
高島伸欣著 「教育勅語と学校」
岩波書店
田中義廉編 「日本教科書大系 近代編」
第四巻 国語(一) 小学読本巻一?
巻四 明治七年八月改正版
講談社
森川哲郎著 「明治暗殺史」
三一書房
山住正己著 「教育史に学ぶ」
新日本出版社
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